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仏前結婚式の司会に賜った仏縁

とある日。
夫の「仏前結婚式の雅楽の篳篥をお願いしたい」とのご依頼がありました。
続けて、「奥さんにも式のお手伝いをしてほしい」と。

夫に「どうかな?」と聞かれ、
完全に“お茶出し係だろう”と思っていた私。

「あぁ、いいよー。お手伝いできるよー。」
と受けました。

夫「司会だって。」

私「うぇえええええ?!司会?!」

一瞬考えたのち、
『好奇心>不安』
だったので、そのままお受けすることにしました。
もちろん司会なんてしたことありませんw

こんにちわ、寺嫁お京です。

仏前結婚式とは

以前、寺嫁お京の仏前結婚式で記事を書いているので、併せてご覧ください。


仏前結婚式の司会は、雅楽ががくとのタイミングがあるためか、僧侶の方がされることが通例です。
まず、司会の流れのなかでがく止楽しがくなどがあり、雅楽を知らぬ身としては
「なんじゃこりゃーー」の世界。

漢文ですか?

越天楽えてんらく」といって、皆さんならば神社で聞いたことがあると思われる楽の前に、音取ねとりといって音合わせのようなものがあり…
音取から越天楽に変わったら、「新郎新婦、入堂」のアナウンス。

いや…そもそもその曲の差が分からない。
どこで越天楽に変わったの?!状態。

登礼盤とうらいばんって、何…?
そのお作法って、何…?
お焼香の動作!それなら分かる!
お焼香2回後に「一同、合掌…」のアナウンス。なるほどなるほど。

華葩けは(蓮の花びらを型どった紙片)の説明を…。
えーっと、華葩ってなんで舞わせるの?
いっぱい舞ったら綺麗なのは分かる…
仏教的な意味って?

打ち合わせの時、私と新婦さん以外は全員が僧侶。なので、ツーカーで話が通じます。
早々に、何の話をしてるのかが分からなくなり、「今なんの話?」と夫にコソコソ聞く頼りない司会。

大いなる不安を抱えたまま、お花畑状態で安請け合いしたことを後悔しグラっと萎えそうになりましたが…

いいいいいいいいいや!
引き受けた以上はやらねば!
と気持ちを切り替えて、夫に練習を頼みました。

ただ、なんと言うか
その時の感覚は、

私なら出来る!という精神論ゴリゴリの自己暗示ではなくて、
この方たち(僧侶の方々)と一緒ならおふたりの結婚式を無事に勤められる、という謎の大丈夫感がありました。
誰も私の無知や至らなさをジャッジする人がいない。いや、むしろそれを知られている上での「どうぞ、そのままで」というお心でいてくださる方々に囲まれた中での安心感だったのか。
失敗、成功の二分の中にいない感覚というか。自分が包容されている感覚があったので、不安はあったのですが萎えずにやれたのではないかな…と。

これはお寺の人と関わり、仏教を知るようになってからの自分の意識の大きな変化だと思います。

それから、ご結婚されるおふたりの笑顔、花嫁姿を喜ぶご家族の姿を思い浮かべながら練習しました。

ちなみな話

登礼盤とうらいばん作法や散華さんげという華葩けはを舞わせる行為というのは、全て仏徳讃嘆ぶっとくさんたん(仏様の徳に対して感謝を表明すること)のためであり、結婚というご縁をいただいたことを仏様に感謝する意味合いがあるのだそうです。
さらに、なぜ華葩けはを舞わせるのか?
この散華という儀式は、仏様をお迎えする時に、花びらの上にお迎えするという意味があるそうです。
この意味合いを聞いたとき、正直、
(なんて粋な計らい!)
と思ってしまいました。
こんな表現でごめんなさい!でも、散華の儀式が私に届けてくれる景色は、とても高尚で華やかなのです。

仏前結婚式10分前

式次第と華葩

それでもやはり、当日の参列者がいる風景というのは、私の中の緊張を引っぱり出してきました。
10分前、司会席で立っていると一人の僧侶の方が、
「緊張はするからそのまま受け入れて。私、集中してるぜオリャーーーって気持ちで。」
と小声で通りすがりに伝えてくださりました。

そうなんです。
緊張でカチコチで司会席でバレないように深呼吸をしていたのですが、緊張が漏れ出していたのか、気づいてくださっていたのです。
なんという安心感。おかげで、ふっと口角が緩み自然に笑顔になれました。
それでも始まりから終わりまでずっと緊張していたのですが…、何とか無事にお役目を終了することが出来ました。

すべての儀式が終わり片付けに入る頃、
夫から
「今までで1番良かったよ。」とお褒めの言葉が。
他の方からも、「名司会でした。」と。
そう言ってもらい、やっと緊張から解かれました。

振り返ると、新郎新婦さんやそのご家族、参列者の方に少なくとも違和感を与えず、厳かな儀式の中での結婚の大きな喜びと柔らかな寂しさをともに感じられた気がします。

「散華」華葩が舞う時(画像は式終了後)

この日のビールが格別に美味しかったことは言うまでもありません。

仏前結婚式を執り行う側のご縁をいただいて

これまでは、自分の仏前結婚式か参列者側だったのですが、実際に執り行う側のご縁をいただいたことで、これまでには見えなかった裏側を知りました。参列側であれば、見ることができなかった会場設営、つまり仏前のお荘厳。流れるように厳かに進む儀式のそれぞれの意味。「裏側」と表現しましたが、そこには仏教の真髄が在り、それを守り繋いでいってる僧侶の方々が、何を大切にしているのか、また私が何を大切にしながらこの縁を喜ぶのか、学ばせていただきました。このような私に、ご縁をくださったご結婚されたお二人には、心から感謝と祝福の意を改めてお伝えいたします。
誠にご結婚おめでとうございます。司会を勤めさせていただきありがとうございます。

この仏前結婚式の2日前。
我ら夫婦も6回目の結婚記念日を迎えていました。かつてない程の喧嘩の最中となりましたが、なんとか立て直して当日を迎えられましたw
夫婦ってその時々で色んな歩みがあるもんですね。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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