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引退宣言と後ろ髪と春。

春季彼岸会法要が終わりひと段落していると、
義理の祖母(90歳台)が、突然こう言った。

「次からお仏華は全部あなたに任せるから」
「とにかくキツいのよ。あなたに任せて私は余生を楽しむわ。」

これまでお仏華は、祖母がご本尊を
私が親鸞様、蓮如様、聖徳太子、七高僧の前を生けてた。

それを全て私に任せると言う。

「寺務も教えていくから、4月からあなた頑張って」

突然の引退宣言。

私が結婚して初めてお寺の仕事に関わるようになった頃、
どなたかが私のことを「坊守さん」と呼んだのを耳にした祖母が、
すかさず
「坊守は私よ!」
と力強く言っていた。

当時、坊守という名もその立ち位置の意味合いもほぼ理解しておらず、看護師と掛け持ちもしていたので、
(どうぞ、どうぞ坊守の座をとる気なんてさらさら無いですから)
と、祖母がそれに執着する理由を考えもしなかった。

あれから5年。
祖母の近くで、坊守業をフォロー(というスタンスでいることにしている)しながら見ていたが、祖母にとっての坊守とは、人生そのものなのではないかと。

僧侶と大学教授を兼務していた祖父に代わり、祖母は60歳で中仏の通信講座を受け、お得度後、教師まで取り、毎日ご門徒様の自宅をお参り各々のご家庭と関係を深めてきた。87歳まで。

今も祖母に会うことを楽しみにご来寺されているご門徒さんは多く、姿が見えないと「坊守さんはお元気にされていますか?」と口にされる。
独学でお仏華を学び、組内の坊守会を改革し、僧侶の集まる組内会にも参加し、自坊に還元し、まとめてきた。
私がご門徒さん方にスムーズに受け入れていただたのは、祖母のこれまで築き上げてきた関係性があったからに他ならない。

ある時の常例法座が終わった時、片付けをしながら
何気に「おばあさまお一人でお寺を守っているとき、大変だったでしょう?」と聞くと
「そうなのよ!分かってくれる?!ありがとう!」と言って、頭を下げられたことがあった。私に向けての祖母のあんなに本気の「ありがとう」はこれまでなかったので、驚いた。
それから、祖母は私に弱音を吐露するようになった気がする。

「結婚するときは墓場まで一緒に行こうなんてこと言ってたくせに。さっさと一人で逝っちゃったのよ、おじいちゃん。」
「朝もきついのよ。」
「私の力じゃ、もうお仏飯も上げきれない。」
「前はこんなことなかったのに。」

そして、この度の突然の坊守引退宣言だった。

それから数日、祖母はお化粧もせず髪をとかず、覇気がなく憔悴していた。

その間も、お彼岸の片付け、供養米の仕分け、花立て、お掃除など淡々とすませていく私のいるところに赴いては、
「うんうん…」
「あら、綺麗に生けられたわね…」
「お花から逃れられるときがくるなんてね…」
「あら、ありがとう…」
と蚊の鳴くような声で語りかけ、私の仕事をただただ見ていくだけの祖母。

んで、私、気づきました。

祖母の超〜〜〜長くなった後ろ髪が、私の目の前にあることに笑。
引っ張って、ほら!グイッと引っ張って!
と言わんばかりに。

なので、私、引っ張り…いえ、伝えました。
「おばあさま。体力的な仕事は私がしますけど、まだ私にはアドバイスが必要なので、よろしくお願いしますね。」と。

それから、祖母は美容室に行き髪を黒く染め、眼科に行き身を整え、覇気を取り戻して2日の常例法座に気持ちを向かわせていった。

夫(住職)に、「引退宣言したものの寂しくて寂しくて仕方がなかったんじゃないかな。」と伝えると
「お彼岸で疲れてたんじゃない。まぁ元気になったら、いつもの調子に戻るよ。」と。
相変わらず達観してますな。

やっぱり坊守の座なんて特にいらない。
でも人生を通じて守ってきているものがあり、私はそれを引き継いでいるということは分かる。
できる限り祖母には坊守で一緒にお寺を守っていてほしい。
引退宣言を受けて、寂しくなったのは祖母だけでなくこの私もなのだ。

そう気づいたこの春の出来事。備忘録として。


引退宣言後、落ち込む祖母が生けていたお花。
力を感じるんだよな…。


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