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他組の仏教婦人会大法要にてお勉強させていただきました。

「うちの実家で仏教婦人会あるから勉強しにこない?」

友人の若坊守さんに誘われて他県にあるお寺の仏教婦人会大法要に修学旅行してきました。

船で行きました。


日程は朝座・昼座の3日間。
ヒエェーー 3日間法要なんて想像するだけで、ヒエェーーー。
しかも、朝も昼もあるなんて、ヒエェーーー。
何がヒエェーーーなのか。

会所えしょ(法要の担当のお寺)の忙しさを想像するとヒエェーーなのです。

仏教婦人会というのは、西本願寺21代門主の次女である九条武子と当時のお裏方様により、強固に組織化された浄土真宗のみ教えを仰ぐご婦人方に限定した組織。
この組織のトップは西本願寺の坊守(お裏方様とも呼ばれる)になる。
私たち末寺(会社でいう地方の子会社)は、地域毎に何ヶ寺か行政単位でまとめられ(組と呼ばれる)、組の婦人会は毎年「仏教婦人会」という大きな法要を開催し、ご婦人門信徒方がみ教えを聞く場を設けている。

別院での教区仏教婦人会の様子

その法要の内容は、概ね
読経からのご法話のお聴聞となるのだが、
その内容は、各々の組のご婦人方の数や地域性、仏教への関心度、お寺と門信徒さんの関係性、寺族同士の関係性、開催する側のモチベーションの違いなどにより差がある(気がする)。
例えば、毎回思考を凝らしイベント的な企画を盛り込んでいるところもあれば、
昔ながらの既存の内容を毎年繰り返しているところもある。
盛り上がってる組は盛り上がっている。
淡々とこなす組は淡々とこなしている。

ちなみにこの度お勉強させていただいた組はおそらく盛り上がっている方の組だろう。
自坊の所属する組は淡々と粛々とこなすタイプ。タイプ?

どちらが良いとか悪いとかではなく、
時代や人間関係や環境やその他諸々の要因によって組それぞれのカラーが出来上がっている(気がする)。

どちらが良いとか悪いとかではない。
存続してるだけで尊い。
手の及ばぬ事情で存続できていなくても尊い。
その相続の歴史上に在るだけで尊い。

おそらく多くの坊守さんが結婚の時に訳わからず「浄土真宗のみ教えに従って生きまーす。」
って尊前に誓っちゃって、その具体的な動きの一つがこういった法要。
夫と結婚したはずなのに自覚なきまま“寺の嫁”と呼ばれ、浄土真宗を知った顔でいることを強いられ、法要の裏方をいそいそと取り仕切っているのだから、
もうほんとやってるだけで十分
いるだけで十分。頭が上がらない。

門信徒のご婦人方も然り。
そもそもが嫁の集団で、その人個人の信仰なんて引き出しにしまい込んで、嫁ぎ先の宗派に合わせてやんなきゃいけないってやってるだけで十分。もう素晴らしい。
ありがとうございます!

そして、そうやって携わるうちにお育ていただき相続されていくのですね。

そんな誇り高き嫁たちが執り行う仏教婦人会に参詣させていただいた。

これから記載する「私が驚いたこと」は、あくまで私の所属する組の法要と比較、狭き経験則からの個人的視点によるものなので諸々悪しからず。
ちなみに私の所属する組の仏教婦人会は、大項目の流れは同じだがご住職方は「讃仏偈」というお経をあげて御法話を聞かせていただくという淡々と粛々的な流れ。

なんなら、組内の住職の出勤は会所の住職のみで良いんじゃないかという簡素化の案が出ている。

勉強しに行って感じたことの裏付けには
前提としてこれらの経験がある。

驚いたのは、まず参詣者の人数。
1日で100人前後来られるとのこと。
(それが3日間か…)

コロナ禍以降、お弁当は外注でお持ち帰り形式になっているそうだが、それまでは御斎をお膳にして尊前でいただいていたそうだ。
(それが3日間か…)

そして、初の試みとのことなのだが、散華を行うとのこと。
散華とは、花びらを模した華葩というものをお経の中で一斉に散らす儀式。袈裟をまとった僧侶が阿弥陀仏を囲み歩みを進めながら華葩を散らす光景はまるで仏様がそこにいるような恍惚さ。

華葩散らす前


仏様を讃えたいと願う先人たちが、どうにか形にしようと作り上げられたこの儀式から、
今を生きる私が仏様の存在を肌で受け取ることができるのだから、儀式とは手間をかけて大切にしていきたいものだと感じた。(実際にできるかどうかは置いといてまずは心得として)

仏教婦人会の法要は、名の如く婦人達が主になって行う。組内の婦人の代表が集まり会議を重ねる。散華の儀式を行うのはご住職方なのだが、“初の試み”とやらをどのような流れで行う流れとなったのだろうか。ご住職方も会議に参加するのだろうか?

聞くところによると組内のお寺同士が

「仲が良い」

らしい。

はいはいはいはい。ですよね。

何にせよ円滑にパフォーマンス向上するには、健全健康な人間関係は最もベースになるのだろう。
いや、うちが仲が悪いわけではない。
個の意思が強いだけなのだと思う。たぶん。


そんなこんなで一泊での修学旅行は、無事に終了。娘も同じくらいの年齢の人懐っこい寺っ子たちと一緒に遊べてお泊まりできて存分に楽しんでおりました。
ご多忙ご多忙ご多忙の中、私たち一家を快く受け入れてくださったご寺族の方々に心から感謝申し上げます。帰り際の皆さんの笑顔が脳裏に焼き付いております。
また遊びに行かせていただきます。

海の幸
寺っ子たち
ありがとうございました。

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