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「つながりの作法」と心象スケッチとともに

ある大学の先生にお薦めしていただき、ステキな本に出会うことができました。

「つながりの作法 同じでもなく違うでもなく」
(綾屋紗月・熊谷晋一郎、2010)

アスペルガー症候群の綾屋さんと脳性麻痺の熊谷さんというマイノリティの当事者として生きるお二人の文章が今の私にとてつもなく響いたので、心象スケッチと一緒に気づいたことをnoteに投稿します。

私は、バラバラ

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世の中にはたくさんの音が存在します。

家族の話し声、笑い声、鳥の鳴き声、虫の声、風の音、雲の音。
パソコンを打つ音、テレビの音、文字を書く音、料理をする音。
自転車・バイク・車・電車が通る音、ドアが開く音。
家族の感情の音。
(今私が聞いてる音を少しですがザッと書いてみました。)

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意識的に聞き取る音も、無意識に聞いてる音も、雰囲気から感じとる音も…
全ての音が混雑して全て同じボリュームで聞きとってしまう私の右耳。

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右耳(のような気がする)から聞き取れる全部は、
「つながらない、バラバラの音」
左耳はカバーされているようで、重要な音1つだけがどこかから聞こえてくるのでそれを頼りにしています。

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目を開いていれば、たくさんのものが見えます。

レンズで見る「物」もあれば、場の空気・環境が放つ粉雪のような点々と、人の雰囲気・オーラから見える感情もあります。

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私が視ている全部は
「つながらない、バラバラの情報」

そして陥ってしまうパニック状態。
電車とかすっごいんですよ。
揺れる音、アナウンスの音、風の音、ブレーキの音、話し声。
電車の設備(イス・吊革・手すりなど)、電気、人、スマホ、広告…
人の考えてることとか、雰囲気とか性格とかその他諸々
情報量と刺激が多すぎて倒れそうになる時があります。

二極のつながらない身体

『つながりの作法』で書かれている綾屋さんの身体は、今の私の「つながらない身体」と共感する部分が多々ありました。
綾屋さんは本で

「身体の各部位で足並みをそろえずに生じ続けている変化の多くを、バラバラのまま感じ取ってしまう。」
また、
「身体の外側からの情報も、バラバラのまま大量に感じ取ってしまう。」

と表現されています。身体の内部も外部も「つながらない」から「外界ともつながれない」(いや、一緒やん。笑)



一方、脳性まひを抱える熊谷さんは各部位の筋肉が過剰に緊張し「つながりすぎる身体」を持つが故に「外界とつながれない」という思いを持たれていました。


つながりを持つための条件

今の私がバラバラなのは仕方がない。
だけど、とりあえず身体的にも精神的にも落ち着かせたい…

安定した「私」が立ち上がるための条件
身体や外界に適度な秩序が備わっていること
②所属するコミュニティが共有する構成的体制と個人の日常実践の相互作用がされていること

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私が安定しないのは①ばっかりに気を取られてたからだと、気づくことができました。私なんて顕微鏡でも見えるか見えないかくらいのちっぽけな存在なんだよ(?)(怖くて「社会」の絵は描けなかったけど)


さいごに

この構成体制と個人の日常実践の相互作用について本ではしっかりまとめられていたけど私のスケッチはここまでです。

まとまりはないですが、すごくスッキリしてます!笑
途中で描けなくなるのも、中途半端なのも、何でもいいんです。

そんな「雑なわたし」にぴったりな本を『つながりの作法』を読み終わった直後に見つけました。

『「雑」の思想 世界の複雑さを愛するために』
(高橋源一郎・辻信一、2018)

私の大好きな辻信一さんと(心の中で)お話ししながら読んでいます。


この1、2週間でスケッチのクオリティが上がった気がします。

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うーん。
やっぱり全部聞き取る右側がザワザワしてるんよねー

ではでは、さようなら。

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