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昭和58年の少年時代

小学校の学区にあたる地域の、6割近くが団地住まいか文化住宅(長屋?)住まいという私の故郷での話し。だいたい小学4年から6年にかけては、なかなかバイオレンスな毎日を過ごしていたように思う。

野良犬という存在が当たり前のようにいて、それは可愛らしいものではなく、近寄れば怪我をする覚悟が必要という、藤子不二雄の漫画に登場するような、気の小さい主人公がお尻を噛まれるという光景が、創作上ではなくてリアルに読み取れるような環境である。

その地域の主のような大きな黒光した犬、汚れて黒くなっていたのか、元々の毛色なのかは定かでない。ただ小学生の体型と同じかそれ以上のサイズ感は恐怖でしかなかったし、犬に追いかけられたら最後、もう人生が終わることを感じている程である。

当時から小学校では、ニワトリやウサギ、クジャクやアヒルを飼っていたのだが(何でかはわからないが、命を育む的な教育目標があったのかも知れない)その学校にある檻の中で生活している彼らの生態系の上位にあるのは、人間ではなく間違いなく野良犬であったりした。

野良犬は檻を噛みちぎって中に入り、産まれたばかりのウサギの赤ん坊を加えて逃走したりなんてのは、当たり前の風景でもあった。

こんな話をすると、無慈悲な野良犬が存在する世界に驚く世代も少なくないとは思うが、いやいやそれは野良犬に限った話ではない。

私が9歳くらいの頃は、自分と同じ年頃の子供たちでさえ、野良犬と同じくらいに恐怖でしかなかったと言えるし、それは今の時代のイジメだとかそういったものとは、次元が違うから説明するのが少々難しい。

生まれ育ちだとか、生活環境だとか、そういった話しでもないように思えるのだが、恐らく当時では当たり前の子供らの気質という感じであろうか。

全ての日本人が中流階級を目指すような時代といえるのかもしれないが、そんな時代においては、思いやりだとかそう言った道徳心はあるようで無いようで…。

現代では日本人の誇りかのように言葉にされている、日本人らしさからくる民度の高さ、みたいな、正直気恥ずかしいくらいの危うい自尊心がもてはやされているが、私の少年時代には皆無であったと思わざるを得ない。もちろん手本になるような家庭はあったし、テレビドラマに出てくるような、温かな理想的な家族もいるにはいたが、野良犬をこ綺麗にして、多少の社会的ルールを備えたような、ほぼ野良犬と変わらない人間たちが一定数いたのである。

(つづく)


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