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秋葉原通り魔事件を想う

今日、秋葉原通り魔事件を起こした
加藤智大氏の死刑が執行されました。

死刑の是非は傍に置いておいて、
この事件というか、
加藤氏について想うことを書きます。

加藤氏は、親から虐待を受けて育ち、
進学校に行きながら受験がうまく行かず、
就職にも恵まれませんでした。

現実社会で居場所がなく、
ネット社会に居場所を見つけますが、
そこでもトラブルに見舞われ、
いよいよ精神的に追い詰められます。

そして、事件を計画し、
実行してしまったわけです。

正直なところ、
生い立ちや経緯から、
あの凶行に至るには飛躍があると
思います。

彼が亡くなってしまった今、
詳細な心理の過程を追うのは、
もう不可能でしょう。

そして、してしまったことを
到底肯定することはできません。

しかし、私は、彼に対して
気の毒でならないという気持ちを
持ってしまうのです。

親に虐げられ、
社会に居場所を見つける機会を得られず、
仮想社会でも安らげなかった。
最後は、残忍な凶悪犯となり、
塀の中で半ば監禁された挙句、
国家権力により命を絶たれてしまった。

生きていてよかったと思える瞬間が、
この人にはあったのだろうかと、
思わずにはいられません。

凶悪犯罪を犯す人の中には、
彼のように生い立ちに恵まれなかったり、
社会的に虐げられてきた人が
少なくありません。

だからといって、
先ほども書いたとおり、
したことが正当化されるわけでは
ないのですが、
凶悪犯罪をなくすためには、
厳罰化だけではなく、
虐待されている子どもを救済したり、
生きる意味が見出しやすい社会を
作ることが必要なのではないかと
感じています。

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