人に愛されるということ

「キミって数学、苦手なんだね」

Kの言い放ったセリフが僕の心をえぐった。

Kは高校の同級生。僕らは県内で有数の進学校に通う2年生だった。この高校には、県内各市の中学校でそれなりの学力を持つ生徒が集まるため、偏差値には自信のある生徒が集まっている。僕もそのひとりだった。

いつか忘れたが、ある時の定期テストの点数を見せ合ったときに、Kはそう言った。僕は英語ほどの自信のある教科ではなかったが、数学にもある程度の自信を持っていた。僕らは既に理系のクラスを選択していて、大学は理系に進む。確かにKは数学が得意だったが、英語では全く負けていなかったので、僕の方からは、実力は五分五分くらいに思っていた。同列だと思っていたKが放った言葉は、僕のことをかなり見下していて、自尊心とかプライドとかその辺の定義が似ているものがひととおり傷つけられたことをはっきり覚えている。たかだかそんなことだが、受験を控える高校生にとっては何よりも大切なものだったと思う。

その日から、僕はこっそりKを仮想敵と見做し、猛勉強に取り組んだ。実際に同じ大学の同じ学部を受験するとなるとライバルのひとりになる。人間というものは、ただ漫然とするより、「何か」のためであれば真剣に努力ができるものだ。誰かの笑顔が見たいからというプラスのもあれば、あいつに仕返しをしてやろうというマイナスのエネルギーもある。完全に復讐モードだった。僕の名誉を取り返したいと思っていた。

ちなみにKは、サラサラとした直毛をこぎれいに切りそろえ、いつも爽やかにツメエリを着こなし、関西人らしからぬ雰囲気があった。声も大きくなく、自分をあまり押しつけない。確か両親とも関東出身で、かなり薄い関西弁を話していた。僕の地元では、友人のことを「キミ」などと絶対に呼ばない。Kはいわゆるイケメンであり、男友達は少なかったが、女子生徒に人気があり、当時付き合ってる彼女もいた。その彼女は、控えめな性格であまり可愛いとはいえなかったが、彼女がいない僕にとっては羨ましかった。Kに負ける訳にはいかないもうひとつの理由でもあった。

それから6年後の夏ーー。僕は東京でサラリーマンをしていた。大学受験では、第一志望の国立大学の工学部にストレートで合格した。日本の大学生の多くは学生生活を、その後に始まる長い社会人生活に入るまでのモラトリアムと捉えている。僕も例外ではなく、それはそれは楽しい4年間を過ごし、その末に就職を選んだ。通常、この大学の理系学生は9割方、大学院に進学するのだが、僕は早く社会に出たかったのだ。初めての都会生活、初めての社会人経験、何もかもが新鮮で刺激的で、ピカピカのエリートサラリーマンは、疲れを知らずに仕事と遊びに明け暮れていた。

そんなときに、Kから連絡があった。彼は大学受験に失敗し、浪人をして僕と同じ大学の理学部に進学していた。僕との勝負はその時についていて、あのときの屈辱を晴らしていた。Kは僕より1年遅れて学生になっていたのだが、不思議と学生の間はKとは会うことがなく、共通の友人からウワサを聞くくらいだった。Kはつい最近、東京の大学の修士課程に進学が決まり、住むところを探すために一時的に上京してくるという。せっかくなので一緒にご飯でも食べないか、となり、それならばと東京にいる共通の友人にも声をかけ、食事会は次の週の水曜日に設定された。

都会にありがちなオープンテラスのお洒落なイタめし屋で、久しぶりの再会。お互いの近況を報告して、昔話に花を咲かせていると、みな酔いがまわってきた。22歳のお盛んな男が4人も集まれば、自然と恋愛の話になる。今は彼女いるん?いや、こないだ別れたねん。彼女みたいなんはおるけど。彼女みたいのってなんやねんっ!!都会では封印していた関西弁も解放して、恋バナは最高潮に盛り上がっていたが、Kは微笑んで聞くばかり。

その様子を見て「Kは彼女いるん?」と僕が水を向けた。いやぁ、まあいいやん、となぜかいなしにかかる。「水くさいなぁ、久しぶりに会ったのに!」と強めに言うと、うん、いるよ、と。どこで知りあったん?と聞くと、また答えづらそうにする。それくらいいいやん!としつこく聞くと、文通で知り合ったという。今どき、文通?と思ったが、そこで話は別の話題に移ってしまった。

目一杯いろんな話をして、旧友たちともそろそろお別れとなり、それじゃあというタイミングで、Kが「今日は泊まるところがないので、泊めてくれる?」と僕に言った。「ああ、全然いいよ。おいで。」深夜まで仕事をして帰って寝るだけの1Kワンルームに、高校の同級生を招くことは想定してなかったが、東京でひとり奮闘している身にとっては、誰かが一緒に居てくれることは安心感がありウェルカムであった。冷蔵庫にあったビールで、先ほどの宴を再開した。

「ところでさぁ、さっき彼女の話してたけど、どうなん?文通で知り合ったって言ってたけど。」僕はどうしても気になっていたことを尋ねた。「うん、実はさぁ、彼女って言ってたけど、あれ彼氏やねん。」・・・ん、んんん、状況がつかめない。彼氏・・?今でこそ、LGBTなどと言って、いわゆる性的マイノリティに対する知識はありふれているが、20年以上前の僕はほぼ知識ゼロで、ノーガード体勢に綺麗な顔面ストレートパンチだった。「えっ、えっ、そうなん?それって、どういうこと?文通って、なんで?いつから?そや!お前彼女いたやん!あれは?」Kからカミングアウトをされた僕は、それまでの人生で一番うろたえていたのではないだろうか。

おそらくそういう質問への応対は慣れていたのか、Kは落ち着いていろいろ教えてくれた。高校のあたりから自分はどうも人と違い異性を好きになれなかったこと、でもその感情はなんとか否定したかったこと、否定をするためにあえて彼女を作ったこと、その彼女との別れがきっかけとなって同性へ気持ちが向いたこと、その後何人かの男性と付き合ったこと、自分のような性的指向者は一般的に性欲が強いこと、今の彼氏は年上の自衛官であること、などなど。。

「今だから言うけど、キミも同じかと思ってたよ。」

Kが急にそんなことを言った。え?なんだって。ないない、そんなことは断じてない。話の展開にすっかり酔いは冷めていたが、僕は反射的に強く否定した。Kは僕も同じ部類だと思っていたらしく、もしかすると解り合えるのではないかと感じていたという。でも、その日の友人達との会話を聞いて、やはり違ったのだと理解したらしい。そう言えば高校生の時、Kと僕は一緒に居ることが多く、同級生から「あいつら付き合ってるんちゃうか」と言われていたのは知っていたが、そんなのはよくある他愛もないウワサ話だと思っていた。僕は、受験のライバルと思って近くで闘志を燃やしていただけだったのに。

は!と気がついたら、時計は深夜の1時を過ぎていた。明日はもちろん仕事だ。もう寝よう。は!とまた気がついた。よく考えると、いや考えなくても、この部屋にはKと僕が二人っきりだった。どうしよう。Kは一体何のために僕の部屋に来たのだろう。カミングアウトをするために?何かを確認するために?それとも。。。まごついている僕を見てKは言った。

「あ、大丈夫。僕はキミのことはタイプじゃないから。」

かつての受験で、Kに仕返しをしたと思っていた僕であったが、こともあろうに同性にフラれるという新たな屈辱を、Kから味わったのであった。いや、結果的によかったのか。でも魅力がないってことだよな。。その夜はもちろん何もなく、翌朝を迎えてKは帰って行った。その後、何度か電話で話をしたが、それ以来Kとは会っていない。ウワサによると東京の超優良企業でかなり出世をしているという。

僕の心には、その時に空いた小さい穴が、今も空いたままだ。


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