1095日の生き様 ⑥~学校生活~

相変わらず多方から何かとnote見てるよ楽しみにしてるよ、と言われ、Mr.3日坊主の私が6話目とはたいしたものだと自分を褒めております。

さて前回の記事で次回予告しました「平日・夏休みのハードっぷりと1年生の寝言」を…書きたいところだったのですが、次回に回しまして、以前少し書きました学校生活について写真も見つけたので改めて振り返ります。

入学式

目が合うと「おだってる」に結び付けられる苫小牧のしょうもないルールと説明しましたが、入学式で先輩はどれくらいの勢いで「おぉ~今年の1年はどんな奴らよ」と見ているかと言うと

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こうです!

特に左側の男子生徒陣は一人一人をガン見です。
ここに写っているのは一般生の先輩なので体育クラスの先輩となるともう、眼差しだけで身体に穴空くレベルでした。
この眼差しは体育クラスとカワイイ子にだけ集中的に注がれます。

この時は出席番号順(あいうえお順)で入場した為、浅利くんは「あ」なので先頭です。彼はさすがですね、もう目すら開けていません。

そして今になって思いますが、私の担任であった宮本美也子(女)先生は入学式にも関わらずウィンドブレーカー上下で先導するというすげぇ先生でした。初対面の時を鮮明に覚えてます。教室入場から教卓までの時間で多分、クラスの全員が「男?女?え、どっち」と思った事でしょう。

「はいっ!私、担任の~」というセリフを人一倍甲高い声で発した時に全員が思ったはずです。

「女なんかーいっ!」 つって。

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とっても良い先生で、大人になった今も仲良くしています。
担任は、しょっちゅうウチの店『寺子屋』に飲みに来ます。
(写真の男、私に似てますが私の兄弟分です。笑)

そんな先生に会いに行ったり学校へ遊びに行くと、いつも事務所や職員室がざわつきます。
一度「寺尾!なにしにきたっ!」と何もしてないのに強めにツッコまれた事すらありますね。笑

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学校に迷惑はかけられないので持参したお弁当を売店前で食って帰る。という意味不明な事をしたことがあります。
我々は新しい売店と当時無かった食堂を見たかっただけです。笑

さて、話は入学式に戻りますがこうやって、先輩達にとって今年の「エサ達」をお披露目するわけです。

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菊池恭平くんは早速、全校生徒の前で新入生代表として挨拶させられていましたが、やはり一般の生徒達も大半は床を見ているか、または立ちながら寝ているか、どちらかでしょう。
(一番左の奴は誰か知りませんが絡まれた事がないか、余程のヤンキーなのでしょう。先輩方を逆にガンミですね。)

学内生活

こうして無事に入学したわけですが学校生活中に先輩方を見かけること、鉢合わせることがもちろんあります。そして我々は何も悪い事をしたわけでもないのにそれを予防するようになります。

私が一番記憶にあるのは昼休みです。

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先輩方はこの中庭的な玄関前に出てきてタムロしたり、色んなところにちょろちょろ出現します。画像6

そしてチラッとでも1年が顔出さないか見逃さない為にも、ちょこちょこ窓側を睨み利かせてチェックしていたのも私は知っています。

そして先輩がいないからと油断して1階(1年生)窓から顔出そうものなら、2階(2年生)または3階(3年生)からツバやガムが降ってきて、後頭部に直撃します。

真顔で正面を向いて廊下を歩いてるだけでも、「お前、今日あそこ歩いてたべ?余裕か?」と意味不明な事を言われてもおかしくない状況だったが故に、こういう広場に人だまりが見えた場合は少しでも隠密に行動する為に、

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こうです!(実際の廊下の写真)

こうして窓があるエリアは筋肉痛を超えた筋肉激痛に耐えながら、ほふく前進でトイレに向かったり移動教室先へ向かったりしていました。

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駒澤高校ウォーキングデッド シーズンⅠです。
この廊下、ひんやり気持ちいいのは我々世代のゾンビなら知っている事でしょう。

駒澤のクラスについて

こちらについても改めて説明を。
みなさんは高校時代、○年A組ですか?○年1組ですか?
ちなみに私は3年間、英組でした。

英組?

と思われる方にクラスの名称について説明しますね。
駒澤OBにクラス名を順に言って!と言うと

「えーこーせーじんちゅーてーきょー」と言うと思います。
(世代によっては「きょー」の後に「れー」と言うでしょう)

正確には
英・孝・正・仁・忠・貞・恭・(礼)です。

英組、孝組、正組~と続きます。駒澤は仏教なので、このようなネーミングになっています。礼組というのは時代によってあったりなかったり。
今は特進クラスとしてあるのかな?

今検索してみたら15年ほど前にやってたmixiで作ったコミュニティが引っ掛かりました。私、これの創設者で管理人です。笑
(現在マイミクは募集しておりません)

当時のクラス

当時の英組は体育クラスとして特待生のみでした。
アイスホッケー・サッカー・野球・スピードスケートこれらの特待生全員が計50名、通常30名でいっぱいの教室にぶち込まれます。一般生は一切いません。
中には教室の壁にボコッと出た柱の後ろの席という、寝るには最高の場所にも席が設けられてたくらいです。
全員が月水金は昼まで授業、午後からはそれぞれの部活へ入ります。
火木は一般生と一緒で6時間目(?)まで授業を受けてその後に部活へ入ります。

このスタイルが3年間続きました。
ですのであまり知らない野球部やサッカー部がいる、とかいう事はありえないわけです。

当時のアイスホッケー部の位置づけ

当時はアイスホッケー部が仕切っているというか、あいつらには敵わないと判断され、いまだにサッカー部や野球部の同期には私に敬語を使ってくる人がいますが、なんせホッケー部は逆らうと…という、危険な扱いでしたね。
(皆、全然おとなしいのに…)

時に逆らう同期もいたのですが、そこはお互い真剣勝負でした。

私は、喧嘩するタイプじゃなく、逆に喧嘩が発生すると必ず先生が私のところまで全力で呼びに来て「寺尾!喧嘩!止めれ!」と言われて、よく先生に引っ張られて現場まで止めに行ってました。

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気分は赤髪のシャンクスです。

そんな私は喧嘩は一切しないけどイタズラが大好きで平和な好青年となります(高2以降)

体育クラスと一般生との付き合いについてはガタイの良い奴らが群れで行動するもんだから敬遠されてたかというと、そういうわけもなくクラスをまたいで交流はあったと思います。
もちろん他のクラスに彼女を作ろうもんなら体育クラスで、いじられていじられてエライ目に合います。

だからこその絆

そんな男臭い缶詰クラスだからこそ、野球部・サッカー部はホッケー部がとんでもなくツライという事を見て感じ、気を使ってくれてました。

余計な絡みは一切してこなかったし、特に1年生の時は良い意味で相手にされてなかったと思います。

私にとってはそんな彼らが大好きでホッケー部とプライベートを過ごすよりも野球部・サッカー部と休みの時間を過ごす事が多かったです。
記事上部で写真紹介した駒澤に遊びに行った時もホッケー部は一人もいません。決してホッケー部の仲間が嫌いなわけではないんですけどね。笑

だから仲間の仲裁にも入るし、仲間がチンピラにカツアゲされそうと聞けば「練習でシュート打てなくなるのはヤバイな…」と冷静に手首にテーピングを巻いて公園へ助けにも行きました。

持ちつ持たれつ、トラブルはあったけどその分良い関係で信頼できる仲間にいまだに恵まれています。

クラスまとめ

この体育クラスについてはもちろん先輩方も同じでした。
2年英組が授業で1年教室前を通る!となれば哲也さんや百目木さん、翔さんら全員が通る!という事だったのでドアは完全に締めきり、教室のカーテンも隙間なく締めて教室内を見せないようにするのが必須でした。
3年英組が通る!となればもう息すら止めてたかもしれません。
ですので何曜日の何時間目が〇年生の英組、座禅の時間だから1年教室前通る、〇時くらいには教室のカーテンを閉めて教室から出ない。というのが自然と身に付き予防策として1年間欠かさず実行します。

私の1個下(元王子の小川・元クレの久保 etc.)まではこのクラス体系でしたが私の2個下(現クレの梁取・現フリブレの山本 etc.)からは英孝正までの3クラスに分散されるようになりました。

こうした男臭い軍団で3年間、私は学校生活を送ることになります。

今回の記事はここまで!

さて、次回は

インターバルリレーについて綴りたいと思います。


てらを

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