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「できることから始めようと着着と歩みを進めている」。環境と仏教を研究してきた取締役・本多が語る再エネ100プランを始めたワケ

テラエナジーでんきは、2023年1月より、再生可能エネルギー100%プランの提供を開始しました。

再生可能エネルギー100%プランをはじめた理由について、起業メンバー3名がそれぞれの興味関心から想いを書きました。

今回は「環境と仏教」を長年にわたって研究してきた取締役の本多によるコラムです。

お寺の電気を再エネ100%にした

僕のお寺も、テラエナジーの再生可能エネルギー100%プランに加入しました。電気代は月600円ほど高くなったものの、未来世代のことを考えれば大きな負担ではないと感じています。

お寺という場所は一般家庭とは違って引っ越しができません。この土地で何百年もやってきて、これからも何百年とやっていかなければならない。遠い未来の地元の姿を想像しながら活動するのが大きな役割のひとつです。そういう点からしても、地域の持続可能なあり方を考えるうえで、再生可能エネルギー100%へのシフトにはとても大きな意義があると僕は思っています。ちなみにこのプランは、原発で発電した電気も使っていません。

ずっと疑問に思ってたこと

僕は24才の時に「環境問題と仏教」の研究を始めました。1990年代から仏教界では、環境問題を扱う研究が一気に増えました。ところがほとんどの研究は、環境保護や「自然への慈しみ」といった考え方が、経典や宗祖の言葉にあるか否かといった議論でした。

当時仏教者の多くは、気候変動問題に取り組むための動機付けを探していたのでしょう。ところが気候変動問題が今日の問題である以上、過去の仏典や過去の偉人の言葉に取り組みのドストライクな動機付けを見つけ出そうとすること自体、難があると感じていました。結果的にこの研究分野は10年足らずで収束することになります(気候変動問題は深刻になってゆくのに)。

研究を続けながら僕が関心を抱いたのは、「動機付けがなければ行動に出ない」という発想の背後にある論理についてでした。僕にとって「行動には根拠が必要だとする論理に綻びが生じている」というのが、「環境問題と仏教」を考えるうえでの最大のテーマでした。もう少しすすめて言えば、気候変動問題に取り組む意志の根拠を仏教者は探しているが、意志は行為によって「生じてしまった」ものであり、その根拠を辿ることなどできない。だから根拠不在こそ意志の正体であるのに、意志に根拠を与えようという不自然な試みをやろうとしていることにあったわけです。たとえるなら、目の前で人が苦しんでいるときに手が伸びる(てしまう)ところを、「手を差し伸べる根拠を明確に言語化できなければ、私は手を差し伸べない」と言っているように感じられたのです。「後だしジャンケン」のような論理がベースにあって研究が進んでいると僕には感じられました。

行為に明確な根拠が必要だという思考で考えてるうちは、「環境問題と仏教」はいっこうに宗教的なテーマにならないことを知りました。一方、根拠を作り出す作業は社会的活動の動機にはなります。そこで僕も、「社会的課題に取り組む仏教者」という面目で、理由を列記して周りの行動を促すということを今もすすめているわけです。

「孤独」を癒すのは他者の存在

自分が大事してきた研究テーマの根源に刃を向け、疑問を炙り出すことで、よりひろい視野で社会や人の営みを見つめる視野が養われたように思います。そういう意味では、テラエナジー代表の竹本了悟が歩んできた姿勢と通じるものがあるように思います。

竹本は自身の経験をとおして「孤独」というテーマに取り組んできたと僕は思っています(勝手にそう思っています)。幼少期に経験したいじめ、自衛隊で悩んだ人の命を守る意義、そして仏教の教えに出遇って見いだした救済論。いずれも自己存在への問いかけが、既存の思考や体制に対する疑問を投じ、そこから視野がひらけるというプロセスを経ているように思います。そこで「孤独」というテーマに彼は出会ったのだと思います。

人は意外にも「孤独」が原因で、世間ではよしとされない行動に出ることがあります。僕自身にも思い当たる節がある。「孤独」であることのさみしさを隠そうとするあまり、強がってみたり、他人に攻撃的になることがあります。意外にも、社会問題にしてもその根っこに「孤独」があったりするのです。

「孤独」であるとき、それを支えるのは自分自身ではなく他者の存在です。他者のぬくもりを実感することで「孤独」は癒されます。その自覚から「孤独をぬくめあう関係性」が立ち上がってきます。

テラエナジーのビジネスモデルは文化的?

総じてテラエナジーの活動を僕は文化的活動だと思っています。もちろん、財政の改善や労働環境の充実は大切です。毎週のミーティングでは、時に財政面や雇用面における問題点について時には相当きびしい意見が飛び交います。そうした意見に耳を傾け、また聞き入れながら、ビジネスとしての健全化をすすめています。

一方、人は誰もが「孤独」ですから、やっぱり大きな視点としては「孤独」を和らげる場づくりの文化的プラットフォームとしてテラエナジーのムーブメントを位置づけることが「テラエナジーらしさ」だと思います。結果的にその営みは、大きな消費やつまらない比較から私たちを目覚めさせてくれるものであると僕は思っています。

気候変動問題と文化、一見すると不似合いなマッチングですが、実は深いところで関連づくのです。

仏教者の言ってたことがなぜか響く

最後に、テラエナジーの活動をとおして、意志の根拠不在や人は「孤独」だから他者の存在が不可欠といったことに気づくことができました。そして僕にとって何よりの発見は、過去の仏教者が見た風景と似たような風景を自分も見ていることの気づきでした。

「無明煩悩われらが身にみちみちて」
「自信教人信」
「善悪不二」
「大悲無倦常照我」…等々

こうした気づきを大事にしながら、できることからしていっているのが僕の気候変動問題に対するアプローチです。

今後、地球温暖化は一層深刻になると言われています。災害も頻発するみたいです。そこで、できることから始めようと着着と歩みを進めている。その一つが僕にとっての再生可能エネルギー100%プランへのシフトでした。

再生可能エネルギー100%プランの詳細はこちら↓↓

本多 真成(ほんだ しんじょう)
1979年生まれ。大阪八尾市の恵光寺住職(浄土真宗本願寺派)。龍谷大学大学院を修了し、私立大学の客員教授をつとめる。院生時代は「環境問題と仏教」の思想史研究。専門は宗教学。TERAEnergy取締役。

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