おっさんのグラデーション

http://www.asahi.com/articles/ASGD75CT0GD7UCLV003.html

そのレッテルの貼り方、『おっさん』たちと同じでは…?

『レッテルを貼る』という言葉自体が最近バズワードになりつつある。

『賛成派』、『反対派』、『勝ち組』、『負け組』、『負け犬』、そして『戦争法案』…

『レッテルを貼る』という言葉自体が、『単純化すること』というレッテルを貼られているというパラドクスがここにある。

考えてみると、そもそも言語とは『レッテルを貼る行為』である。我々はあいまいな概念や事象に言語を当てはめることで、世界を説明しようとする。

この『レッテル貼り』にはバリエーションがある。

①ある事象を矮小化し、乱雑にひとまとまりにする表現。

②誰も気づかなかったことを浮き彫りにしてくれるような表現。

この記事の「おっさん」というレッテルはあきらかに前者で、それは「おっさん」が「女だから」とか「女のくせに」とかいうのと同じ手法である。

「独善的で、一色の意見で塗り込めるオッサン政治がはびこっている」と弁護士の太田啓子さん。

確かに、政治システムは硬直化し、あらゆる制度が形骸化している。

ただ政治とは、あらゆる人間を動かす仕事だから、理路整然としていればそれが通るという世界ではない。これはあらゆる業界の組織でも共通だと思う。そういう組織を動かすには実際問題として『豪腕おっさん』の力が必要だったり、もちろん『根回しおっさん』の力も必要だったりするでしょう。

また本当に国民のことを考えて行動している『誠実おっさん』も、もちろん国会には存在しているでしょう。『おっさん』たちにも、グラデーションがあるはずです。

そういうのを一緒くたにし、『おっさん』との対立構造を創り出し、その世界を破壊して、理路整然とした、上位下達のクリアカットな組織を作りましょう、というのかも知れませんが、それを破壊した後、その『私の意見が受け入れられないのは、今の組織が悪いんだ!』というナイーブな考えでは、あらゆる考えを持つ人々が混在する組織をうまく動かしていくことができるのでしょうか。

太田啓子さんは、『独善的おっさん』に実際何回も遭遇し、嫌な思いをされてきたのでしょう。そしてその思いを『おっさん』ということばに込めた。

こういった恨みの象徴には、ルサンチマンが扇動されやすいし、この構図は日本のあらゆるところに散見され始めている。

『反韓』も、『大阪都構想(大阪市解体構想)』もそうだと思っている。

このレッテル貼りによる象徴化とルサンチマンの扇動によって勢いをつけた組織が、現行の組織をぶっ壊したあと、残るものは子供的な『純化』思想に取り付かれた独裁政権になりそうなことは、創造に硬くない。

②誰も気づかなかったことを浮き彫りにしてくれるような表現。

こういう言葉を使っていきたい。

太田啓子さんには『おっさん』批判に女性たちを扇動するのではなく、女性たちを輝かせるような言葉、女性に関する課題を新たな面から浮き彫りにするような言葉をどんどん使っていってほしい。

もちろん、今の政治は民主的な手続きで正していく必要があると思う。現政権の『独善的おっさん』度は、放っておけるものではない。ただ、『独善的おっさん』と同じ水準に、自分を貶めないでほしい。

#社会




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