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何手先まで読んでいるか分からない


 最近連珠を始めた知り合いに色々と教えているとき「何手先まで読んでるの?」と聞かれた。普段何手先まで読もうと意識してないため「んー場合によるかな」と答えを濁してしまった。詰みを読むときは詰むまでの手数を読むし、手が広いときは3手先くらいを数パターン読む。また、持ち時間が読みに影響する場合だってある。詰みそうだけど時間がそれを許してくれないから、途中で読むのを止めて安定した手を打ったりする。このようなことを知り合いに話していると、「読む」ことは「ファイルをダウンロードする」ことに近いのではないかという考えが頭をよぎった。

「読む」の正体とは

 一手ずつ進むごとに局面が変化していく。対局者はその変化を捉えなければならない。今の一手で白の攻めが止まり、黒の攻めが繋がる、次の一手で白が黒の攻めを牽制する、といったように。一手入ったことで何がどう変わったのか、対局者は局面の情報が更新されていくことに対して敏感でなければならない。その情報を更新することが「読む」ということだと思う。複雑な局面のときは情報を更新するのに時間がかかるため、読むことも大変になる。一方で、情報があまり変わらない局面は、更新に時間がかからないため、あまり読まないこともある。
 このような現象が、ファイルのダウンロードに似ている気がする。局面という変化していくファイルを逐一ダウンロードする。そして、そのファイルは軽いこともあるし、重いこともある。つまり、常にこのくらいの容量を読み込もうと決めているわけではないため、「何手先まで読んでいるか?」という質問には答えを窮してしまう。この感覚について他の人と話したことないため、自分の感覚が共通しているものなのか分からないが、自分以外の人が「読む」という行為をどう捉えているのか気になるところではある。

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