見出し画像

強い人が強いのは弱いから

拝啓 肌に刺さるような猛暑も和らぎ、しのぎ良い日が多くなりました。夏のお疲れは出ていらっしゃいませんか。お伺い申し上げます。

 連珠をずっとやってると定期的に飽きがくる。めちゃくちゃハマっていたのに急にやる気すら湧かなくなる時がくる。約20年生きてきて分かったが、自分の飽きがくる原因は面白さを感じなくなることのようだ。
 
 どこかで、面白さというのは「何が起こるか分からないドキドキ感」と聞いたことがある。自分の中の面白さの認識はこれに近い。逆に言うと「何が起こるか分かっていること」は面白いとは感じにくい。漫画や小説を読むとき展開がある程度分かってしまうと面白くなくなるが、これは何が起こるか分かってしまうから面白くないのだろう。仮に絶対に2-1で終わる八百長のサッカーの試合があったとしたら、自分は面白いとは思わないし前半10分で寝てるかもしれない。

 話を戻して、自分の中で「連珠に飽きた」ときは「連珠に対して何が起こるか分かるようになってドキドキ感を感じなくなった」と換言できる。しかし勿論のことだが、連珠をやって何が起こるかは分かるわけないし、分かっていたら今頃こんなnoteは書いてない。けれどもドキドキ感を感じていないのは本当だ。つまるところ、飽きている状態というのは「何が起こるか分かっていないのに何が起こるか分かると勘違いしている」状態と言える。もっと正確に言うと勘違いではなく思考停止なのかもしれない。

 飽きは飽和を意味し、満足のことを指す。現状に満足しているから飽きる。究極的には何が起きるか分かってないけど、何が起こるか分かっているという現状に満足しているから飽きる。では、飽きないためにはどうすればいいかと言うと、「何が起きるか分からない」という現象に対してひたすら真摯に向き合うことが考えられる。しかしながら「何が起こるか分からない」と思うのは容易いことではない。ある程度慣れてくると分かっているような気分になってしまう。その中で「何が起こるか分からない」部分、自分が理解できてない部分、つまり自分の弱さと向き合わなければいけない。自分の弱さと向き合うのはめちゃくちゃ辛い。けれど弱さと向き合い、それを受け入れない限り強くはなれない。自分が飽きている時期は、自分の弱さと向き合ってない時期と言えるだろう。何も分かっていないくせに、さも分かっているかのように「飽きた」と言い思考停止している。

 強くなるには自分の弱さと向き合わなければいけない。強い人が弱いと自称するのは謙遜ではなく、自分の弱さと向き合ってきた過程があるから本心で弱いと言っているのだろう。強い人が強い理由は自分の弱さを知っているからであり、現状に満足せず継続して努力しているのだろうと思う。

 思いついたことを殴り書きしたため文章がまとまっていないような気もするが、それもまた一興ということにしといてこのままにしようと思う。夏の暑さのようにハマり、秋の風に揺られる季節のように、いつか連珠に飽きたときの自分宛てのメモとして。

敬具

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?