見出し画像

みふじ幼稚園には知情意三色の富士山がある(その1)

■第47週■

「シュタイナー教育から”みふじ”の保育へ」高橋明男/水声社を、ぜひ多くの方に読んでいただきたいです。

ここには、よりよい未来をつくっていく
教育の実践と展望が書かれています。


著者と同じく、わたしの願いも

この本を通して、共通した願いをもって生きている人たちと
あらたな出会いがうまれて欲しい、です。


教育はすべて自己教育

教育は全て自己教育です。私たちは教育者、保護者として、子どもたちを取り巻く環境にすぎません。

本書p41より



自我が誕生する21歳以降は、自分を取り巻く「環境」も選択することができます。

その前の一人ひとりの子どもたちが「自分であろう、自分になろう」とするのを(邪魔しないで)応援できる教育者、保護者でいたいです。



保護者の主体性と主観性

主体的である、自分を持っているということは、主観的、自分の見方、感じ方を持っているということです。

本書p96より

乳幼児期の豊かで原初的な感覚体験は、大人になってからの主体性(自己意識にもとづく行動)の基盤になると考えられます。

本書p98より


では、教育者、保護者自身の主体性はどうなっているのか?

という大きな問いが生まれます。



身体に支えられて

それ(子どもたちの主体的な心の動き/note主が追加)を感じ取ることができるのは、つねに保育者自身の主体性(知情意)です。大人自身が自分の身体状態(地水火風)に支えられて、主体的に感じ、考え、意欲を働かせているのです。

本書p155より


大人自身が、自分の身体にささえられている。

自分の身体の状態には、敏感でありたい。


でも、歳を重ねると

否が応でも
意識せざるを得なくなります。汗


同年代の仲間が、それぞれお抱えの

整体師
鍼灸師
オステオパシストをもっていることを知って

苦笑いしたところです。


主体的な心の働き

わたしは子どものころ「良い子症候群」のひとりでした。

まわりの大人の期待にこたえようとして、


「自分であろう、自分になろう」とするかわりに

「大人が期待する良い子になろう」としたら?


そのために自分の心を無視し、

自分自身と自分の心を 切り離してしまったら?


それは「トラウマだ」と



Dr.ガボール・マテ氏の

映画「トラウマの英知」で教えてもらいました。



養護=地水火風
教育=知情意については

次のnote記事でふれようと思います。


6年生「逆さ富士」









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?