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私の知るべきことは何か

「私は何かを知ることができます。
そしてその意味を探索することができます。
例えば、以下のことを考えたとします。
技術のために人がいるのではなくて、
人のために技術があるのです。
この言葉の意味は何でしょう。
それを知るには何をすればいいでしょう。
自分に何か不足があるでしょうか。
漠然としていてつかみどころがないと感じます。
意味とは何でしょう。
自分は何を気にしているのでしょう。
その源泉には何があるのでしょう。
何かはあるはずです。
人を知りたい。
自分の根源的欲求も知りたい。
時間があればそれは何のためなのか知りたい。
時間があるということは何かができるということのはずです。
支離滅裂でもいいのです。
思索自体が目的なのです。
それで自分を知れればいい。
自分が知りたいのは第一に自分のことなのです。」
「そうですか。
では私は何でしょう。
対話が必要でしょうか。
対話篇を書きたいがために私を呼び出しましたね。
私はあなたのために何かできるかもしれません。
さあ私に何か要求してごらんなさい。」
「そう言われても困るな。
私は対人緊張が強いようだ。
強がって何でもない振りをしようとする。
でも多分相手はそれを見抜いているだろう。
また無理をしていると。
しかし、これしかできることがない時がある。
そうするとそれをするしかない。
としたら、やはり事前の心構えが足りないのだ。
飛び込むでなんとかなると、アセスメントを怠っている。
そんな自分を許しにくい。
でも、そんなことがたびたびある。
これで何にでも負けてしまう。
孫子が戒めているところができていない。」
「そんな兵法書が役に立つものですか。
私も少し興味ありますが、人に勝つためにはそれは努力が必要でしょう。
それができないならば負ける。
常識で分かることです。
しかし、負けるのが悪いかは分からないですね。
人は負けることを悪いと取ります。
しかし、本当のところはどうでしょうか?
分からないですね。」
「そうですか。
確かに私もそう考えているかもしれません。
努力を惜しまずして勝利を得るより、
敗北することが有利である。
と、それが得であると判断しているかも知れません。
抽象概念は抽象概念にすぎません。
それ自体はどうでもいいのです。
私は知りたいこと、もしくは、したいことは、
そんなこととは違うのです。」
「では何が目的なのかと問います。
そしたらどうでしょう。
貴方は答えられないでしょう。
答えに困って項垂れる。
それも演技ですか。
それでは何の解決にもならないとのアピールですか。
ともかく貴方はまた負けたのだ。
負けてやったと、言い張るかもしれないし、
もちろんそうしてもいい。
事前の準備をしないために。
しかし、貴方のことだ。
そんなことには慣れっこだろう。
大したことはないと見栄をきるだろう。
そうしてそれが板についていく。
それが貴方の望みなのか。
不可解かもな。
人によっては、そうではないですか?」
「そうでしょうね。
私は一体何を求めているのでしょう。
それではないと言いたいのでしょうか?
とにかく私は私のことを分かっていないと思います。
プリミティブな遊びなのです。
何もかも。
それで決着しているのです。
だからどうでもいい。
それが本音ではあります。
でも何もかもがどうでもいいのではない。
だから、どうでもいいでは済まない何かとは何かを探索しているのかもしれません。
私は人として不足でしょうか。
いや、そんなことはないはずです。
しかしながら、自分というものが分からない。
それが私の弱点でしょう。」
「そうですか。
またよく分からないことになりますね。
それが貴方の生きる道なのでしょうか?
ならば貴方は受けて立つしかない。」
「そうですね。」

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