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したいようにして何が悪いのか

「したいようにして善を導く場合もあると思いますが、
善悪は定め難いものです。
したいようにすることはまずその人の責任能力が重視されるべきであること、それから反省や振り返る能力も考えざるを得ないはずです。
責任を全うできるのでなければ何かをさせてやることを許可できません。
だから、その意味で自由とはあり得ないものです。」
「君の言う通りかも知れないが、
矛盾していないか、
自分に危害が及ばない限りは人は自由に振る舞うべきだと言っていなかったか?
それは矛盾だろ。」
「それはそうですが、
自由に振る舞うことで悪が生じるのであれば、それは未然に防止できた方がいいのです。
ですから、私はその意味で申し上げました。
矛盾するのは分かっていました。」
「そうか。
したいようにしていい結果が得られたらいいけど、
そうはいかないとすると誰の責任になるのかな。
責任の所在なんて明確になるわけがないじゃないか。
だから、俗論としてはしたいようにやらせてはいけないということになるのだろうか。」
「おっしゃる通りだと思います。
上手くいかなくても誰のせいにしたらいいか分からない、そんなケースが予測できるのなら、
誰しも嫌がることだと思います。が、
しかし、それを制止する権利がその人たちにあるかと言うと、それも疑問です。」
「まあ、そうだ。
人が自由に行動するのを妨げていいかと言われれば、
その根拠や論拠が必要だろう。
それを指し示せないなら、
それは権利を侵害したことにできるな。」
「だから、余計に嫌がられるのでしょう。
こうしておけばよかったのにと後から考えてもその本人が押し切らないといけなかったことになり、
それは面倒なことになります。
俗人からすれば、さらに善が生じることは興味のないことになるのでしょう。
したいようにして善が増したとすると、
カルチャーショックを受ける俗衆もいるかも知れません。
何が善で何が悪なのかは起きてみないと分からないことがあります。」
「それは言い過ぎでは?
でも君の言いたいことは分かる。
良い結果をもたらすはずなのにそれを止められたとしたら、
その感情はどうなるだろうか?
考えてみてもそれは分かりやすくはない。
複雑な気持ちになって不快であるだろう。
だから、人の権利が明確である場合は止めない方が良い。
隠し事をするなんてもってのほかだ。」
「おっしゃる通りかもしれませんが、
もう分からなくなってきます。
やはり何が善で何が悪かは分かりにくいものです。
だから、よほどの確信がない限りは行動は控えた方がいいかもしれません。
しかし、大胆な行動が効果をもたらすときもあります。
だから、よく分からないのです。」
「なるほど。
これはこれで寝かしておこう。」

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