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「運」を天にまかすとは

「結局のところ、この世のことは、有名な警句通りなのかもしれません。
人事を尽くして天命を待つ
としか言いようがないのでしょうか。
西郷は敬天愛人と言っていました。
意味するところは同じだと思います。
人のためを思って、行動して、
それが出来たら、後は天に運命を任せるということですね。
幸運、不運とはどんな意味でしょうか。
運がないということは人生のサイコロの出目が良くないものばかりという実感なのでしょうね。
逆についているのは、ラッキーであり、
偶然としていいことが起きているということですね。
そのメカニズムはどうなっているのでしょう。
俗に言う、引き寄せの法則というやつでしょうか。
本人がどんな感情でいるか、
周囲の環境もそれに影響されて、
前向きな感情を持っていると、周りもそれに順応し、
ネガティヴな気持ちでいると、周りも嫌な感じになるということでしょうか。
これは量子もつれ、または、エンタングルメントとかと同じでしょうか。
奇妙な一致は世界的にはあり得ていいことではあります。
でも、それでは困る方もいるのではないでしょうか。
そんな偶然にばかり支配されていて、
論理的に納得いかないなんてことはあるのではないかと思えます。
努力の成果が得られなかったり、
幸運ばかりで人が得をしていると思うなら、
自分はどうすればいいのでしょうかね。
自分も幸運を身につけるしかないのでしょうか。
では、それはどうやれば叶うのでしょう?
分かりません。
引き寄せの法則に従うべきでしょうか。
それなら、周りの環境に不服を言うよりも、自分をまず変えるべきだということになるのでしょうか。
それならそれでいいですけども、
そうするしかないかもしれません。
自分は物事の道理を理解しているつもりでも、
それはつもりだけかもしれません。
そうではないという保証なんてありませんからね。
因果応報とはこんなまどろっこしい感じに現れているのでしょうか。
自分はそうでないつもりでも、周りの目からすればそれは当然とみなす向きもあるのかもしれません。
所詮は人間は小さな存在です。
天や神の前では芥子粒のようなものです。
ではその人間を神は気にするのでしょうか。
私はそれはないと思います。
ただの一点をわざわざ神が気にかけるとも思えません。
では、どうすればいいのでしょう。
不満や不服を腹に溜め込んでいるからダメなのでしょうか。
それならどうすればいいのでしょう。
誰かと相談すればいいのでしょうか。
誰か分かってくれる存在を望めばいいのでしょうか。
人間の幸福とは分からないものです。
それは私如きには分かりません。
そんなものでもあるようです。
自分が何のために生まれてきたのか知りたくても、
それは神のみぞ知ることで、
人間如きには知れないのでしょうか?
では人間は世界に何を望めばいいのでしょう。
やはり私は孤独だから、こう思うのかもしれません。
なら、仲間が居れば変わるのでしょうか。
分かりませんが、そうかもしれません。
それなら、それを望みにすべきですね。
人間の幸福というものは私という一個人には手に負えないものです。
運命の歯車はどう出来ているのでしょうね。
結局、分からないので、
これくらいにしておきます。」

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