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カント哲学の意味とか戦争停止とか

「カントは人間が同じようにできていることに気づいていたのでしょう。
だから、戦争を避けることができるかどうか
それも分かっていた筈です。
これも哲学的思想から演繹されたものだと思います。」
「しかし、みながみな戦争賛美しているなら、
それを止めることもできません。
戦争は功名を立てる場であり、
栄光への近道でもあった訳です。
そこでは犠牲は支払われたでしょうが、
純粋な彼らはそれを疑問にも思わなかったのでしょうか?」
「それでどうなるんだ?
カントとしては戦争の惨禍がこれ以上増えてほしくない訳ですが、
戦争に栄光を見る群衆が戦争を望めば
それは止めることなどできません。
良心的な仲裁などただ無力です。
そんな群衆は良心的に戦争を望んでいますから、
罪の意識などないのです。
それがカントの時代から第一次世界大戦までの時代くらいかな、と思います。
さすがに第二次からはもう戦争に栄光を見ることは難しかったと思います。
さらに原爆も登場しますから、
もう一般兵士は何のために戦争に参加するのか分からないほどです。
また原爆を使う羽目になるのは必至ではないでしょうか。
それでようやく人間の愚かさや無力さを思い知るのかもしれませんね。」
「だから中東や東欧で紛争を嫌わないのかな?
いや嫌悪は持たれているのでしょうが、
それは一般市民にとどまっていて、
軍人は英雄的行動をしているつもりですね、多分。
だから戦争が終結するのは難しいことでしょうね。
ヒロシマ、ナガサキに続いて原爆を落とされる都市が必要なのかもしれません。」
「そこまでやらないと戦争を憎むべきものとは思わないのか?
日本はすでにそこまで先の戦争において進みました。
日中戦争でも泥沼だったでしょうし、
韓半島も面倒な存在です。
東南アジアまで戦線を広げて、
さらにインパール作戦もしました。
太平洋でも戦争をしました。
そりゃこれだけやれば
もういい。
戦争なんて懲り懲りだとなるでしょう。
その体験が某地域には足りないのでしょう。」
「そうなのか。
そりゃ難儀なことだな。
だからいくらやめろと言っでも聞かないのか。
軍部は戦争を活躍するチャンスと捉えているだろうし、
やはり戦争終結は難しいのではないですか?」
「ところで、中国はどうですかね?
台湾との衝突は無意味だと思いますけど、
惰性でそこまで進んでいくのでしょうか?
分かりませんね。
私はどちらかというと楽観視していますが、
どうでしょう。」
「戦争、本当に止むといいね。
戦争がなくなって平和になっても
まだまだ課題は山積みだけど、
殺し合いはやめてほしい。
お願いですよ。
人道的観点から無意味なんですよ。
無駄な犠牲を増やすだけで何の意味もない。
でもやはり軍部はそのためにあるため、
常備軍の削減が現実化できないなら、
戦争を止めることは難しいと思います。」
「じゃあ、犠牲になってしまった人にはどうすればいい?
謝るしかないですね。
自分たちの代わりに死んでくれたことになります。
係争地域の近くにいたばかりにそれだけの理由で犠牲になりました。
これからもどの程度それが増えるか
わかりませんが、
不毛を察してさっさとやめてほしいものです。」

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