生きてる意味が分からない私はどうすればいいのか?(何もかも刹那的に感じて虚しい)
「でも悩んでいるわけではない。
それに苛まれていると言った方が適切か。
何もかも長続きしないな。
感覚はどれもこれも刹那的だ。
数分も続きはしない。
雰囲気は数十分と残るがそれはそうだろう。」
「何が言いたいのかは分かるけど、
なら何だ。
何のために生きたらいいのか分からないとかか。
まあ考え過ぎだわな。
それは考え過ぎ。」
「そう言われると元も粉もないな。
私は自分が生きていることに何か意味があると思い込みたい願望があるようだ。
でもそんな願望自体が余計かもしれない。
余計なことを考えたいだけだから、意味もない。
意味もない思考だから、その結果もやはり意味がない。
類は友を呼ぶ的にナンセンスになる気がする。」
「哲学でもしたいのか?」
「是非したい。
もう哲学者とやらになりたくてたまらない。
でもそもそも哲学って何だ?
何なんだ?
分からない。そもそも哲学って何?
調べてきたけど、理性で色々と事物を探ることらしい。
でもまた気になるな。
理性って何だ?
そもそも何のことだ?
理性とやらがよく分からない。
うーん。
理性とは考えられる能力のことらしい。
そうか。ふーん。
まあ分かった気もする。」
「そうか。
まあ君の感情は刹那的らしいからな。
そう自分で言っていた訳だし。」
「ええ。そうです。
そうですけど、私と哲学者ってどう違うんですかね?
同じ人間じゃないですか。
私も哲学者振る権利くらいありますよ。
だってそうでないと差別じゃないですか。
不平等ですよ。
それが社会人のすることですか?」
「なんだ。
怒気を孕んでいるな。
カテゴリーを愛する社会を憎んでいるのか?
まあ分からん訳ではない。
よく分かると言えばよく分かる。
そりゃそうだよな。
事情通を気取る自称の人は好きじゃない。
だから仕方ないな。」
「でも哲学って何なんだ。
哲学という名前がついた本はよくある。
でもコレジャナイ感ばかりある。
でもないか。よく分からない。
何だか求めているものが違うと感じる。
でもそうでもないかも。
これは感覚的な洞察だ。
理性によるものではないな。
純粋感覚的にソレジャナイ感がある。
経験でも理性でもない。
感覚的に異物感があるのだ。
考えてみれば当たり前かもしれないが。」
「分かる気がする。
人間はやはり動物的なのだ。
そういうことだ。
きっと。
思ったよりも感性的だ。
理性なんて二の次なのだ。」
「そりゃ困るな。
じゃあもう要らないものだらけだ。
要るもの以外は捨ててしまいたい。」
「今更断捨離か。
でもやりたいならすぐにでもしろ。
それが人のためだ。」
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