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「小悪選択」とは何か

「何かを選択肢から選ぶ場合に全ての選択肢が悪い場合、より悪くない方の選択肢を選ぶのを小悪選択と言うようです。
より悪い事態を避けるために悪が少ない方を選択せざるを得ないことがあるとして、
その結果は断続的になかなかよくないことになるらしいのです。
それはそうで善化があり得ないなら、
悪い状態が続いていくと判断するのが妥当であるからです。
ではそれを選択しなければ良かったのではないかと思えてきます。
何もせずに選択しないという選択肢はどれくらい有効でしょうか。
やはりそれでは決断力がないということになるはずなので、
悪くても何らかの決断をしないといけないようです。
何もしないというのは選択肢でしょうか?
決断をしなければいけない当事者としては決断が必要です。
でも何の権限でそれをするのでしょう。
自分に与えられた権限の源泉が分かっているならいいのですが、
そうでないならよくない結果を招くと思います。
それは最善を尽くしても悪いことが免れなかったということを言わざるを得ない結果をもたらすかもしれません。
最善を尽くしてもよくないのなら、
それは何故そうなったのかと追及してみてもいいですよね。
それは個人の責任では多分ありません。
状況が好況になることを許さなかったと言えるはずです。
とすれば、何を目標にして、何に取り組めばいいのか、
その後はどうするのかといったことが俎上に上がると言えるのではないでしょうか。
再発を防ぐためには何をすればいいのでしょうか。
何のためによくない状況が生まれてしまったのでしょう。
関わった誰もがそれはよくなかったと判断するなら、
今後はそういったことが起きないようにする方策を立てた方がいいに決まっています。
ということは何故言えるかと言うと、
それは不幸の連鎖を断ち切るために必要であると言えます。
誤った認識があったならば、訂正の必要があります。
だから、振り出しに戻ってまた状況再現をしてみることには意義があります。
として、してみるとします。
すると、何故そんな事態に陥ってしまったかの示唆が得られるはずです。
これは芸術の世界でも言えることではないでしょうか。
つまり私自身、私的には言いたいことはないのです。
状況か状況で差し迫っていれば、小悪選択をしてもそれは悪いと誹られることはないかもしれません。
しかし、悪いことはまた防止できない限り再発して、再現が現れてくるのが普通です。
となると何も対策をしないことは、悪い状況を許していることになります。
これは責任問題ではありません。
損害が起きているのに野放しになっているという悪い状況があるなら、
どうしたらいいのか、という事態への示唆に過ぎません。
私的な状況はそこまで悪くないはずとして、それは問題であるでしょうか、
それは分かりません。
個人によって置かれた状況は変わるはずです。
自分の責任問題にならなければ、ある意味でそれはそれでいいのですが、
そうはいかない場合どうしたらいいのか、
事前に態度を検討しておく必要があると思います。
それだけで済ませずに最善を行えるなら、
それにすぎることはありません。
普通そうですよね。」

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