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自分を「顧みる」にはどうすればいいか

「私の嫌いな格言に
門前の小僧、習わぬ経を読む
というのがあります。
空気を読むことに長けていて、自分で考えない人格を感じるので好きではないのです。
逆にいうとそんな輩がいるから注意せよ
という意味にもとれます。
自分が好きではない他人をどう思えばいいのでしょうか。
彼らには彼らで自由に振る舞う権利があります。
しかし、それは私にもあります。
どう折り合いをつければいいでしょう。
折り合いがつかない場合はどうしたらいいでしょう?
水と油のように混じらない、そんな人間関係でしょうか。
それなら、習わぬ経を読む小僧の方がやりたいことを主張してくるので、まだ折り合いかつけやすいでしょう。
自由にするのはいいけど、主張もない、だけど
うるさい、そんな輩をどう思えばいいのでしょう。
無視してみるのもいいかもしれません。
一切関係を持たないようにして歯牙にもかけないという態度をとるのもいいかもしれません。
対人関係とは何かとややこしいものです。
では逆に好ましい人との関係はどうでしょうか。
私は不器用なもので、そういったことを相手に感じさせることに不得手かもしれません。
どちらにせよ、あまり相手にしていない、
そんなふうにとられているかもしれません。
元来、私は不器用なのです。
態度もそうですし、手先も器用でない、
運動神経も鈍いのが私です。
身体能力が高くなく、
身体を使った動作が得意ではないのです。
ジッとしていることが多く、
活動的でない印象を相手に与えているでしょう。
そんな自分を変えるべきでしょうか。
変えてもいいと思います。
変えてみてみたいとも思います。
人生を面白くするために自分のことをよく考えてみたいのです。
何をすれば自分を大切にしていることになるでしょう。
門前の小僧は私かもしれません。
私がやっていることは基本、自分勝手であり、
人から指図を受けることはあまりありません。
昔に働いていたころは上司や先輩に色々と指図されました。
当時はうるさいなと思いつつ、
従っていました。
今はそんな相手もいません。
自分奔放にしています。
そういったなかでは、自己反省が大切ではないでしょうか。
しかし、自分を顧みることはなかなか難しいことです。
顧みるとは過去を思い出したり、懐古するこもでもありません。
顧みるとは現在または現在に近い自分を修正することではないでしょうか。
それを発見することは難しいことです。
自分の至らないところ、足りないところに気づくには忙しくしていてはいけないと思います。
ふとした時にそれに気づきます。
だから、忙しくないことは重要だと思います。
今回はこれくらいにしておきます。
失礼します。」

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