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欺瞞 懐妊

 私は夢見がちだ。いつのまにかどうにもならぬように自分の首を絞めてここまで来た。理由は簡潔で死にたかったのだ。しかし少し勉強すると死はおそらく救いにもなににもならない。待つのは地獄だと良くわかった。私は幼少期に近所の子と性的な関係を持ち、体が育っていくと同時にとんでもないことをしたのだと薄々感じてはいたが、中学の彼女と付き合って私の性に身を任せて傷つけたことでそれは確信に変わった。そして高校の時、恋と呼ぶにふさわしい人に出会い、罪悪感に潰されそうになっていた私は逃げた。逃げて逃げて逃げまくり、愛想を尽かされ捨てられ、結果が出てから焦って縋りついてしまった。私は何度かその子にチャンスは貰ったのだがことごとく間違えた。結局私は勉強不足だったのだ。今日私は断罪を受けた。絶縁である。私は笑っていた。部屋の中で一人笑っていた。馬鹿なことしかしてこなかったのだ。人が忌避するところにも何か道を照らす何かがあるんじゃないか。と小学校の先生が死については考えないほうがいいと言っていた時思った。それと同時に私はいつからか考え出したのだろうとも思った。その時思いついたのは幼児用の柵がついたベッドに寝かされていた時のことである。お母さんは私をベッドに置きどこかに出かけていった。家のベッドルームに一人残された私は毎日木造の壁や天井を見て木目を見たりして隙を潰していた。長い時間虚無感を感じていた。私はテレビが好きだったのでテレビが見たかった。ベッドルームのドアを開け、廊下を歩いた先のリビングにテレビはあった。私はこの感覚をどうにかなくせないものかと柵を乗り越えようとした。柵は私の身の丈に比べて大きかったように思える。ベッドは地面から今の私の腰の高さぐらいの位置にあったので柵を越えるとなるとかなりの高さから降りなければならない。私は頑張って登った。落ちたか落ちていないかは覚えていない。そしてとても高い位置にあったドアノブを頑張って開き、リビングまで柵を乗り越えて落ちたか他の何かの要因で生じた痛みに耐えながら這って進んだ。(これもあまり定かではない。)そしてリビングに着き、テレビのリモコンを手に取ってつけようとした。しかし、怖くなった。あの木目を見るかのような虚無感と辛さがテレビを見ることにも見出されるだろうと思ったのだ。私はテレビをつけたのかつけなかったのか覚えていない。
 私はまだ生きている。これから何をしようというのか、少しづつ楽しかったことも何も虚無感に回帰していくという小さな私が発見したこの法則は破られたことがない。女を犯す時でさえ私は最中になぜ私はこんなに必死になって肉に打ちつけるのかと思ってしまうことがある。意味は何もない。この問いの本質は意味なんかではなかった。ただ私の虚無感が発生するということが、そして私を傷つける全てが問われている。このような負け戦に私は19年間を費やした。ひとつひとつ確かめ、せめて私がこれはいいんじゃないかと思うことだけをやろうとしたが、どんなにやっても私は間違った。笑うしかない。こんなにも滑稽で面白いものは見たことがない。まぁ、この笑いに虚無感を感じるまではあと十分かそこらだろう。現実はいつもこうだ。私が立てた仮説の方がどれだけ美しかったことか。これを読む君は私のこのどうにもならぬ生になにか脚色を与えてくれるだろうか。この19年間を通して私の世界は私一人だと今思う。大きな反例は高校の時の彼女だった。今、私はそれをこうとしか思えぬものを見つけて否定した。私は意味や概念、そういった被造物には踊らされないと心に誓った。それと同時にそれらを信じる狂信者共と生活しなければならないことも分かった。私は景色が変われば変わるほどどんどん世界に自分しか居なくなっていくかのように思う。私に反例を与えてくれるものなどいない。そのように生きてくれればそれでいいのに。それすら見せてくれる人はこの世にはいないように思う。私はあの時、虚無感に還元されていく世界をみて、早々に反例など探さず、諦めてどこか遠くに行くべきだったのだ。

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