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対応

 昨日今日で少し大きくなったような気がするが、おそらくそれは手をひとつ動かすことになにも見出さぬように微細。故に一人の内に生じる変化が微細に感じられるようにどうでも良いことなのだろう。人が動く外在的な理由はなく、ただ単に生の躍動がそこにあるが故に死や静を拒む。ただ楽な方に転がり続けてきた。それを納得できるように生まれてこなかった。促進させるようなものは不自然で納得がいかない。何か満足できるものなどありはしない。幼年の悶えから少し歩けば、気楽になれる。

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