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遅咲きの美

御訪問ありがとうございます。

今回は、『遅咲きの美』という作品に込めた想いを語らせていただきます。

↓こちらも御覧ください。


大器晩成

僕がまだ、小学生か中学生だったころに、「大器晩成」ということばに出逢いました。

そして、そのことばに、とても胸を響かせました。

その日以来、僕は、心の壁面いっぱいに、「大器晩成」と刻みつけたのでした。

若さあふれる年代。

その頃に努力して、早く花を咲かせるチャンスはいくらでもあったのに、心の中にはずっと、「大器晩成」という響きを感じ続けていたのでした。


もしかしたら、生まれてくる前に、「大器晩成」という人生計画を立ててきたのかもしれません。

少年時代に、「大器晩成」に響いたのは、この地上に生を享ける前の懐かしい記憶をよみがえらせたからかもしれません。


世間の波

三十代、四十代は、世間の波にもまれ、世間の波に呑まれることも数多くありました。

あっぷあっぷしながら、「“晩”は、いつ到来するのか?」と問うことも忘れ果てていました。


思い描くことは、たくさんある。

理想とするものは、たくさんある。

だけど、いつしか、「自分は、たいした人間でもないなぁ」という自己評価を重ねるようになっていたのでした。


命を知るころに

筆文字に出逢ったのは、間もなく五十代に突入するというころでした。

最初は、衝撃的なほどの運命を感じたわけでもなく、強烈な使命を見つけ出したというわけでもなく、ただ、心と体が、筆文字の世界に飛び込んでいったのでした。


筆を持ち始めて間もない頃に、“筆で身を立てる”イメージが浮かんできました。

「そんなこと、できるわけないだろう!」

「身を立てられるほど、努力もしていないだろう!」

そのイメージを素直に受け入れることが難しく感じ、心の声に抗っていました。

年齢を重ねる過程で、思考が老い始めていたのかもしれません。

それでも、現実は確実に、僕を“しかるべき道”に導いていったのです。


側道を押さえながら本道を固めていく

「とりあえず、日々の糧を得なければいけない」

「毎日、プラスを得て、そのプラスを元手に、次のプラスを得ていかなければいけない」

その思いを遂行しつつ、僕は筆を持ち、想いを集中させて、作品を生み出していきました。


僕の作品は、拙い動きであっても、確かに周りの空気を変えていきました。

発信するたびに、誰かの心に届き、その心に揺らぎを与えました。

一人、またひとり・・・

僕に向けて、見えない“笑顔”が蕾をほころばせ、やがて開いていきました。


自分が描いたものを届け、伝えていく。

そして、喜びの想いが、自分に還ってくる。

・・・この循環ができてきました。


本道を拡充する

やがて、自分が描いたものを発信するだけではなく、“描くことの楽しみ”を伝える道も開かれていきました。


「筆文字を教え、みんなで楽しみを共有する」


その想いのもと、看板を掲げると、一人、またひとりと、門を入ってくださる方に恵まれました。

最初は、「自分にも描けるかな?」と不安を感じていた方も、いざ筆を持ってみると、心のままに、自由に、筆を進めていかれました。

そして、「楽しい!」という想いを発されます。

ここにも、新たな“笑顔”が、次々と咲いていきました。


浮かんできたイメージは、次々と現実となっていきました。


独り立つ覚悟

この過程を補っていた“日々の糧を得る”ための別の道は、かたちを変えながら続いていましたが、進むべき道が広がり、栄えていく流れで断たれていきました。

その結果、苦しい時期も経ましたが(今も、その苦しさを充分に乗り終えたとは言えませんが)、道は開かれ、開いた花も、その彩りを深め続けています。


己の道に徹する

同じように、筆で道を拓いてきた方々がたくさんいます。

僕が所属させていただいている「(一社)日本己書道場」で師範となった方は、次々と、御自身の道を拓き、繁らせています。

僕より後に道を歩み始めた師範の多くが、僕よりもはるかに花を咲かせ、出世されたということもありました。

「後の者が先になる」ということは、何度も何度も、起きています。


これも、僕の不器用さなのでしょう。

だけど、それで焦ったり、競おうとしたり、妬もうとしたりすることは愚かなことです。

自分の道を、平静な心で開拓し、進み続けていくことを貫いていくのみです。

長く続く道の過程では、花が咲く時季もあれば、枯れる時季もあります。

枯れても、気持ちを手放さなければ、また花が咲く時季を迎えることができます。

葉を落とした枝に、ふたたび葉が生まれ、蕾ができてきます。

以前よりも多くの花を咲かせることもあります。

自らを生かし、育んでくださる愛の光、慈悲の潤いに感謝して、謙虚に生命を輝かせていくのみです。



“晩”は来たのか?

いつの間にか、人生の“晩”といえる年齢に入り始めました。

僕は自問します。

「大器になりましたか?」

「成功しましたか?」


残念ながら、まだ、その自覚がありません。

“大成”などは程遠く、芥子粒ほどの小成をしたくらいにしか思えません。


そんな僕に、親しき人たちは声をかけてくださります。

「がんばってきましたね」

「ずいぶん成功しましたね」

「大変な時期もあったようですが、落ち着いてきましたね」


第三者の目から観た僕の姿は、輝いていて、頼もしく感じられるのでしょう。

とてもありがたいことです。

そのような言葉に感謝しつつも、いまだ実感が湧かないのは、僕の心の奥にある“思い”故のことだと思います。


「まだまだ、こんなものじゃない!」

「まだまだ、進むべき道は続いている!」

「まだまだ、ゴールは遥か彼方にある!」


おそらく、この思いは、一生続くことでしょう。

自分に飽き足りないのは、

「現状に安住しない」

「かんたんに出来上がってしまわない」

「無限の発展を信じて、人生の最期まで目指し続ける」

というマインドが、心の中、魂の奥底に備わっているからでしょう。


早成の花たちに向けるまなざし

気がつけば、自分より若い人たちが、成功、繁栄を実現させる姿を目にすることが多くなりました。

なかには、自分とは親子ほど、あるいは親子以上に年の離れた若い人が、人もうらやむような成功をし、順調に勢いを増している様子も耳にします。

その姿を、喜ばしく感じます。

また、その姿から、僕も学ばせていただいています。


早く咲くのも 美しい

遅く咲くのも 美しい

みずからの生命(いのち)が

旬を迎える その時に

その美しさを 咲き誇れ


これからも、器を大きくする努力を重ねていこうと思います。

この思い、この努力が、この地上を去った後も、魂の傾向性として生き続けられるように。

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