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THINK

昨日、神宮外苑地区の再開発計画に抗議するデモに参加してきた。僕の予定の関係で途中からの参加であったが、色々な話を聞けて大変勉強になる機会であったと思う。

僕は木を見た時にそこに根付く長い時間を感じる。100年、200年、もっと長い時間を過ごしてきた木もいる。その場の変わりゆく様々な景色を、人々を静かに優しく見守ってきたと思うと優しい気持ちになれる。同時に自分の小ささを感じることができてなんだか楽になれることもある。木には長い時間がある。

単に環境問題だけを考えるだけではいけない。切る代わりにまた新たに生やせばいいという話ではない。人間の御都合主義と経済的理由で命を奪うのはおかしい。100年という時間を持つ命を考える。そして未来に繋ぐ100年を僕たちは考えなければいけない。

最初にこの問題で違和感を感じたのは東京五輪開催が決まって、その周辺地域の街路樹が見栄えの点で切られるという報道を見た時である。あまりにも政府の御都合主義が過ぎる。何もできなかったあの頃から何年経っただろうか。またこうして一つの違和感が出てきた時、僕の足はデモに参加するべく会場へ向かっていた。

おかしいなと思うこと、いやだなと思うこと。小さい声でも、その声をあげられるようになりたいと思った。

様々な立場の人がいる。気持ちだけでは動けない人もいる。そこにある木を切る側にいる人々も本心からそう思っているとは限らないことも感じる必要がある。その上で、自分には何ができるかを考えたい。

音楽で、言葉で、あるいは写真で。僕という人間は何ができるのだろうか。あまりこん詰めない程度に、表現者の端くれとして考えたいと思う。

争うのではなく、お互いを知ることで、何か新しい、明るい未来があるはずなのだ。

そんな風に様々なことを感じ、考えた夜であった。


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