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感情と成長と。

ある日、友人を我が家に招いて晩御飯を一緒に食べた夜のことだった。

息子も知る友人が訪問してくると聞いて彼はテンションが上がっていた。

「いつ来る?」

「楽しみ」

「もう会いたい」

しかし生粋の人見知りである息子は、それまで絶え間ないラブコールを送っていたのにも関わらず、いざ友人が家に入ってくると急にあまのじゃくになる。


「こんにちは」

「......。」

「天晴、こんにちはは?」

私の問いに息子は恥ずかしがって目線を逸らした。

そして何も言わずオモチャの方に歩いていき一人で遊び始めた息子。

仕方がないので気にしつつも私たちは大人の時間を過ごすことにした。

妻はご飯の支度をしながら、私はもうすぐ1歳になる娘を見ながら友人との会話に花を咲かせる。


夕食の準備が整った為、食卓に移動するよう息子にも催促したが、

「まだお腹空いてない。」と本人は言うので、お腹が空いたらそのうち食べに来るだろうと大人だけで食事を始めた。

今晩のご馳走はコストコで買ってきたお寿司にハイローラー、そして骨つきチキン。

お箸が進んでいくうちに息子も「食べる。」と言ってオモチャで遊びつつもイクラのお寿司を美味しそうに食べる様子に少しはホッとしたが、

食卓が賑わう中、"独り"で遊ぶうしろ姿が心なしか寂しそうに見えた私は罪悪感に駆られた。

ある程度お腹いっぱいになったところで、息子は一人遊びに飽きたのかゲームを一緒にしようと言ってきた。

「パパ一緒にゲームしようよ」

普段なら「いいよ、しよう!」と言えるのだが、友人を招いている今日はそれができない。

「ごめんね、パパ今お話ししてるから。天晴も一緒にお話ししようよ?」

私がそう答えると息子は首を振って頑なに拒み続ける。

「ゲームしようよ」
「お話ししようよ」

しばらくの間、この会話の綱引きが続く。

そして私の綱をなかなか引き戻せない息子は目に涙を溜めながら聞いてくるようになった。

「じゃー少しだけよ」

心を痛んだ私はそう言ってコントローラーを手に取り一緒にゲームを始めた。

しかし友人を置いて長々とゲームはできないので私は頃合いを見計らっていた。

「はい、今日はここまで!パパはお話ししたいからあとは自分で遊んでね。」

そう言ってコントローラーを置くと、息子は大声をあげながら泣いてしまった。

大粒の涙と鼻水を引っ提げてソファの上で泣き喚く息子の姿に困り果てる私と妻。

「どうしたものか」

結局、それから娘の機嫌も悪くなり19:30頃に食事会はお開きとなった。

私たちは友人に申し訳ないと言いながら玄関まで見送った。


その日の夜、子どもたちも寝静まり私も就寝しようと目を閉じるとそこには今日ゲームで泣いた息子の姿が目の裏に浮かんだ。

そして私は思ったのだ。

息子も大きくなった。

今はまだ泣いて感情をぶつけることしかできないけど、

これがもし、

「わかった」

とだけ言うようになったら私はどう思うだろうか。

寂しそうにしながらも我慢して子どもなりに悟って気を遣う息子の後ろ姿を見たら私はどう思うだろうか。

きっと私はいたたまれなくなるだろう。

だから目を閉じながら思った。

「感情のままにぶつかってくれる今はまだ幸せなのだ」と。

そう、これでいいのだ。

むしろこれができるだけ長く続いてほしい。


そう思った私は今すぐにでも息子を抱きしめたくなった。

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