焼きそば弁当



中学から高校までの6年間、昼食がお弁当の学校だったので、毎日母がお弁当を作ってくれていた。
母は料理が得意で、お弁当は毎日美味しかった。甘い味付けの卵焼き、お肉のオカズは唐揚げや肉じゃがコロッケ、それにほうれん草のおひたしやミニトマトが入ってるのが定番で、ご飯はのり弁の日が多かったように思う。わたしは梅干しが苦手なのに、夏の日には腐らないように練り梅を入れてくれて、そんな日は梅のついたお米が1口残った。
毎日朝5時半に起きて、おかずとご飯の二段弁当を作ってくれた。春には小分けのアメリカンチェリーが別で添えられたりしていて、毎日本当に美味しいお弁当だった。

そんな母が、時々ドーン!と大きなタッパーにソース焼きそばだけを詰めて出してくる日がある。それは決まって、私と喧嘩した翌日の朝だった。一人前の焼きそばが、タッパーにギチギチに詰まってお昼頃にはすっかり絡まってしまっている。料理上手な母なのに、何故か焼きそばだけは作るのがちょっぴり下手で、もやしとニラを沢山入れるから水っぽいし、麺ともやしがほぼ1対1の割合で入っているから食べごたえがありすぎる。
焼きそば弁当の日は、いつもの2段のお弁当箱ではないので、自分で包む時に何となく察するのだが、それでも昼時、お弁当箱を開いて焼きそばがギチギチに詰まっているのを見ると、と胸がヒュっと鳴る。悪いことしたな、帰ったら謝らなきゃなあと反省する日もあれば、うわ、そんなに怒ってたんだ…とドキリと冷や汗をかく日もあった。

しかし、「お母さん、喧嘩すると次の日のお弁当焼きそばにしてたよね」と、母に何度か言ってみたけれど、母は「そうだっけ?」と、ケロリとしていた。焼きそば弁当の日の夜、迎えに来てくれた母が存外明るかったので、「今日はお弁当が焼きそばだったから、まだ怒ってるんだなって思って急いで帰ってきたよ」と言ってみた日も、なにそれ、と笑うだけだった。強がったり気をつかったりして言ってるんじゃなくて、本当に身に覚えのない行動らしく、きょとんとした母が何だかおかしかった。
「夜、お弁当のこと考えてる場合じゃなくなったんじゃない」となおもけろりとしている事もあれば、「そりゃああんたと喧嘩したら胸いっぱいでお弁当のことなんて考えられないわ」と苦労を滲ませることもある。

母が焼きそば弁当のことをどう思っていようと、私は焼きそばを食べる時、母の、母としての苦労を思わずに居られない。学校嫌いで屁理屈ばかり言ってそれでいて弱虫な私を育てるのは、とっても大変だったと思うから。せっかくお弁当を作ってもらっても、朝から学校に行きたくないとごねる日も多かった。ひどい悪態をつかれても、お互いに言いたいことがうまく伝わらなくて涙を流しても、毎朝かならず、お弁当を用意してくれていた。喧嘩して、ムカつくからお弁当を作らない、じゃなくて、なんだか胸いっぱいだけど、とりあえず焼きそばを詰める。そういうウチの母の無償の愛、みたいなものがソース焼きそばの味に詰まっている。
今はもう、母にお弁当を作ってもらうことも、喧嘩したから焼きそば弁当が出てくることもないけれど、あの冷えて固まったニラともやしだらけの焼きそば弁当に、帰ったら謝ろう、と背中を押してもらったことをずっと忘れない。

ちなみに私の作る焼きそばは美味しい。お肉は豚肉かソーセージかひき肉、まあ要するに肉であればなんでも良くて、野菜は人参、ピーマン、キャベツ、あれば玉ねぎのうちのどれかを2種類程度。これらの野菜からは、炒めた時にあまり水分が出ていかないが、麺を楽しめるようにあまり野菜入れすぎないように注意する。焼きそばをほぐす水も、ほぐしながら少しづつ入れて、フライパンをしたら蒸し焼きにする。麺がしんなりして水気も減ったら、そこに粉末ソースを入れ更に炒めて完全に水を飛ばす。そうすると粉末ソースの味もよく馴染むし、なによりべちゃべちゃにならない。
料理上手な母なのに、焼きそばだけはちょっと下手くそなのが何だかおちゃめだ。私がどんなに上手に焼きそばを作れても、いつも母のことを大事にしよう、そう思える味なのだ。
私の母の無償の愛とその有り難さを私に教えてくれる焼きそばに、私は今でも元気を貰う。

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