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散文

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とき

今でこそ「時」は世界標準時で統一されていて
画一的なものになってるけど一昔、もっと昔は
旧暦やらその国の日にち勘定があったり
国じゃなく地方、町や村によっても違ったりしてた。
そう考えると「時」ってのは普遍の流れだけど地域や人によってバラバラだったのだなーと。
違うのは個々人の感じかたなのよな。

ちしきとちえ

「知識」と「知恵」は違う
知識は入力で知恵は出力

知識がたくさんあっても
知恵として出さないと意味がない

知恵者でも勉強してる人してない人がいる
してる人はそのままなのでわかるが
してない人はたぶん勉強してるって自覚してない
のではなかろうか

日々の中で自然と自分の興味あること
それに付随する事柄を知識として入れるんだろう

創作者ってアンテナがひろくて
日々の感度がいいんだろうな

ふりかえり

ネットの海にダイブしてから6年以上経って
色んな人達と会ったりいなくなったりあったけど
驚くほど自分が変わらない事に気づく2015年末。

変わるほどの「自分」が無いからか
変わらないくらいの「自分」があるからか

人生をリセットしたいとは少しは思うが
どうせなら一回電源切りたいね。
キャッシュ飛ばして少し身軽になりたい。

もういやだ死にたい そしてほとぼりが冷めたあたりで生きかえりたい
歌人

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しょうがい

人はある程度の「障害」があったほうが
進もうという気になるものなのかもしれない

満足し続ければなぜか不満になり
不満し続ければ満足しない

日本人は特に縛り、制約があったほうが
現状あるもので工夫したりする

もちろん過度な障害はストレスとなり
健康を侵すこともある

さりとて多少の緊張感は大事なのだろうな

とどまる

俺はどうやら進むのではなくとどまって
変わらないほうがなぜか経験値が溜まる
タイプじゃなかろうかと思う。

ゆっくりと見聞き観察するのが性に合ってる気がする。

コブクロの「ANSWER」の歌詞で
変わり続ける為に 変わらずにいるよ 立ち止まるたび
口ずさむのさ このメロディー…

このフレーズを何年も噛みしめてとどまり続けている。

なんどでも

写真撮るようになって数年ほど経つけど自分は相当不器用な人なので
一発でスパッとキマってるのなんて撮れなくて同じロケ場所を
何度も訪れ何枚も何十枚も繰り返し撮ってその中の一枚いいのが
あればいいなっていうスタイル。
フィルム使ってるからかなり効率も経済的にも悪いけど
下手くそだからしょうがない。

この写真撮れるまで数年、この場所で何百枚撮ったかわからん。
でもこれで満足はしてなくてこれからも何年も

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ぶんしん

常々人恋しいから他者を求めてしまうが「自分」がもう一人か
二人いたら一番いいように思ってしまう

他者との交わりによって発見できる自分
自分との対話で発見できる自分
どちらも大事だけど自分が無いと感じてる自分には
もう一人か二人自分がいたらもっと探しに行けるような気がする

おとなという

大人という概念にも色々あるように思う。
知識や経験を積んで身につけそれを発揮できる人。
逆に知識や経験を駆使して余計なものを削ぎ落として研ぎ澄ませる人。
どちらが良いとか悪いとかではない。
大人というか人間力なのか。

必要なものまで削ぎ落としてしまったのか。