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川は僕が、水は猫が整えている

玄関を出るとクワガタムシがいた。
昨日はショウリョウバッタがいた。
その前は妻がトカゲを見たらしい。
百日紅が見事に咲いて、娘の黄色い自転車は今は眠っている。
沢山のモノたちがぐっすりと眠りについているはずの夜、
僕は何度も何度も暑すぎて起きるのだが、はて?僕以外の全ては
ぐっすり寝ている。どんなモノたちも。
私が気持ちよく寝続けるには穏やかな風が欲しいと思う。
水を飲みにリビングに行くと猫が喉をグルグル鳴らしながら
暗闇で横たわっている。
玄関まで続く廊下を微かに通る風を感じているようだ。
ありがとうね。教えてもらった知識を活かし、廊下とリビング、
リビングと寝室、と家に密かに隠れている風を扇風機で動かしてみる。
僕は、ふと水を飲みに来たことを思い出す。
太陽をカンカンに浴びながら、ぬるめの水をゴクゴクと喉を鳴らして
ほとんど顔面で受け止めるようにジャバジャバ水を飲むのが好きだ。
しかしお月様が今それはやめとけと言う。
折角夜なのだし、コップもあるのだから、冷えた麦茶をいただこう。
冷蔵庫を開けると土用干しした梅の香りが漂ってくる。
カーテンを開けて、月明かりで照らされる中庭のユーカリの影と目が合う。昼間重なり合う奥行のある影とは違う姿の肢体がゆらんゆらんと
揺れている。握手しようよ。そう言っている。
今はやめておこう。眠くなるから君も僕も、と言い訳にならない言い訳で断った。ユーカリはくすくす笑っていた。
メダカの鉢は暗闇で一塊の岩のように見えた。持ち上げて壁の向こう
に投げ捨てるには苦労するだろう。鉢が割れた先で暗闇にぶち撒かれた
メダカは光って綺麗だろう。夜空はこうやって出来上がるのかもしれない。
壁の向こうすぐに小さな用水路が走っている。
朝には元気よく水が流れていて、その流れ走る音を聞いていると
心の引っ掛かりまでもが取れて流れていくのがわかる。夜そこには音だけ。でも、いや音だけの方がより一層効果を増す気がする。
その脇をもう少し大きい川が流れている。用水路ほど流れはないが
その分、生き物が住んでいる気配がある。
そこらじゅうにヘビの棲んでいそうな大きさの穴が開いている。
穴から続く小さなヒビを伝って苔をキラキラ光らせながら
水が湧き出ている。川の淵には大きなイチジクの木が立っている。
川は街の中のそこかしこを流れて、いずれ街の中心を横たわる
大きな川へと流れていく。

僕はふっと高熱を出したときのことを思い出した。
不思議とどの高熱も今日のような酷暑の最中だった。
寝苦しいどころの騒ぎではない僕は、一日中横になっていているので寝る事に飽きて来る。だが、また気を失うように眠る。を繰り返していた。
そんな眠りに落ちる寸前、僕は無意識であることをしていた。
それは体の心地よい向きを決めてやる、ということだ。
足を上げ、手を上げ、うつ伏せ、仰向け、左半身、右半身と
繰り返し繰り返しモゴモゴと動いては止まり動いては止まり、心地よさを味わう。を繰り返していた。目はおそらく閉じていたと思う。
何を味わっていたのだろう?
不意に、あなたが川を整えているんだよ。身体中を川が流れているんだよ、と声が聞こえる。確かに体の中には沢山の水分があり、川ではないと決めつける方が難しい。身体中を川と見立てて勾配つけし、川上と川下を決定していく行為か。ただ苦しんでゴロゴロのたうち回っていると決めつけるよりよっぽど神秘的で意義を感じる行い。ゴロゴロ、ピタッ。ゴロゴロ、ピタッ。本当に全ての川がビシッとハマる体勢があるのだ。あると信じて転がっているのだ。ハマった時には気を失っているので確認は取れないのだが。そうだ、明日はもっと家の背後を囲む山々へ行って新たな川を辿ってみよう。そこからさらに川上へ向かうか、川下へ向かうかはその時に決めよう。
ゴロゴロピタを繰り返せば大体のことはわかるのだから。
暗闇で風を感じている猫が、物思いにふける僕に、冷蔵庫のドアをはやく閉めなさいと言わんばかりにジーッと見つめてくる。
家の中の風を川のように流したので気持ちよく眠れるだろう。
蛇口から流れる水道の水も、用水路の水も、小さな川の水も、
大きな街の川の水も、誰かがみんなが気持ちよく暮らせるように整えてくれているのだろうか?僕のように。いやごめんごめん僕たちのように、だね。もう一度寝よう。
月の見える窓際はカーテンを開けたままにしておくよ。おやすみ。
おやすみなさい。

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