39歳の棚卸し
昨日は三連休の最終日で、敬老の日だった。先週二日間、県外へ出張に行っていて、ほとんど仕事が進んでいないので、連休といえど仕事をしないと週明け自分の首をしめることはわかっていた。
そんな中、両親が、私の娘を含め孫三人をつれてカラオケにいくという。両親は静かな環境と音楽を好み、テレビも最小限の音量で視聴するタイプなのでカラオケなんてもっての他のはずだ。実際、母は人生初だと言っていた。それでもカラオケに行くのは、中学生の姪が歌うのが好きだということで、その歌声を聴きたいという理由だった。
両親と子供達だけでカラオケに行けば良いかな、その間、私は仕事を進めさせてもらおうと思った。とはいえ面倒をかけるし、姪っ子たちの歌も聞いてみたいので30分くらいならいてもいいかと、私も部屋へ入った。
入室してしばらく、姪っ子と娘は大興奮でYOASOBIの「アイドル」を選曲、嬉々として歌うが、カラオケで親戚一同という初のメンツにやや照れている。甥っ子は極度の恥ずかしがり屋なのでマイクも持たない。両親は、あまりの音量に目をむいている。
そんな様子を見て、歌う気はなかったのに私は両親が昔好きだった井上陽水の「傘がない」を選曲して、大してうまくもない歌を歌った。すると、父もギター片手に歌っていたころを思い出したのか同じく陽水の「東へ西へ」を予約して歌った。
気づいたら1時間半もカラオケにいて、案の定、翌日の私は朝から仕事に追われている。
子育てを始めてから、こんな選択の毎日だったのだろう。
20代の私は、自分の仕事、自分の活躍、自分の趣味、自分の興味に飛びついては、実家へ自分から連絡をするのは年4、5回というほど、自分中心の人間だった。
そんな私が結婚し、子供を産んだ。
出産は29歳の早春。それから10年が経とうとしている。
29歳からの10年間は、劣等感と、罪悪感と、焦燥感と、幸福感にあふれていた。自己中心的でワーカホリックだった私が、ふとした時に、家族との時間を優先するようになったこと、その時間を人生のわき道ではなく、メインストリートととらえる様になったことを、40歳になるまでに少し整理しておきたい。