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躊躇いは、黒き方舟に乗せて。

人の可能性に光を照らすことができるのであれば、
それは粉うことなく、我の本分である。

と言い切りたいのは山々だが、
少なからぬ暗雲がその言葉の周りに立ち込めている気がしてならない。

未だかつて内から湧き出る純度100%の温もりに出会ったことがないような気がして、
防衛本能ゆえか、策略的に飛ぶその信号を素通りできたらどんなに楽だろうか。

誰かの先にある光の道筋を舗装し、ご丁寧に案内の看板を立てるそんな関わりも好きだし、
砂利道をガチャガチャ音を鳴らし歩き、ぐねぐねと迂回しながら行き先を探す、その様子を
隣でゲラゲラと笑っている村人Aの役回りも悪くないと思ったりもする。

背中をさすること、明かりを灯すこと、その火をメラメラと囃し立てること。
自分と誰かが手を繋ぐこともあれば、時に手を離し軸足にしっかり力を入れて立ってみることもある。お互いに

一つではなく、極端な白黒の対比で描かれる世界地図においては

異なった色はよりはっきり、刻々と形が浮いて見え
それらを一つ一つ取り除くことで風通しの良い世界はたしかに出来上がるのかもしれない。

でも、白なのか、黒なのか。
どちらかでないといれないのは、ひどく居心地の悪さを感じる。

時に白に混じいった黒点やその滲みを、
完全に拭き取るのはなんだかひどくアンバランスな気がする。

拭き取った痕跡を隠すべく、白を付け足す、またはそこに蓋をするのは
何だか必死で、返って白に焦りが刻印されてしまう気がする。

白でも黒でもなく、かといってグレーと単純に定義できるものでもなく、
毎日毎分毎秒がグラデーションのように移り変わる。

少しずつ、白の濃度を高めていく試みはこれからも続くのだろう。

でも、たとえ世界地図は極端に白黒に彩られても、
僕らの心のキャンバスは白と黒の間を今日もゆるやかに移ろいゆく。

新しいカラーの絵の具を、そっと筆でキャンバスに付け足される瞬間に
この上なく感動し心が洗われることもあれば
濁った絵の具の侵入に、思わず仰け反るように拒絶し反応してしまうこともある。

白に近づきゆく心のキャンバスを片手に、
あえて黒い仮面をつけて、黒い方舟に身を委ねてみて。

今日も今日とて、新たな色との出会いや別れの筆を
キャンバスでじっくり受け止めながら、自らの歩を進める。

躊躇いとか、戸惑いとか。
不安とか、嫌悪感とか。
怒りとか、憤りとか。
それだけじゃないけど。

それら毎日起こりうる、名前もつかない微小な何かに
活躍する居場所を与えてあげよう。

キャンバスで受け止めきれなかった分は、引っ越しさせてみる。
すぐ隣に置いてある、黒き箱舟に乗せて。





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