「なんで、そのままの私じゃダメなの?」

出産前から産後まで、しばらく家にこもる生活してて、久しぶりに保育園の送り迎えやらで人との交わり。

そしたら、1日の終わりに背中の右側が痛くなった。ああ、これ。最近なかったのにな。

私はきっと、人と会うときに、無意識でムリをしてる。身体の声がそう教えてくれたんだと思う。

部屋にひとり。
声を出して自分に聞いてみた。

「なんで、そのままの私じゃダメなの?」

そのままでいることは、無礼だから。失礼だから。恥ずかしいから。まるで、パジャマ姿のまま職場に行っちゃった、みたいな恥ずかしさとやっちゃいけない感

でも、なんで?
特別悪いこと考えてないよ。
どうしてそのままの私じゃ、無礼なの?

…うん、何でだろう。

具体的な理由なんてない。
当たり前にそうだと。

たぶん、親の子育ての塗り間違い。

自分が育てた子供を、信頼してそこから生み出されることを愉しむよりも、世間で正しいこと、周囲の人に対して間違いのない正解をさせることを優先しすぎた、そんな塗り間違い。

ここ最近のやりとり。

「あの人にこんなお土産あげるんだ」と私。

「そんなにお肉食べないわよ。塩分控えなきゃいけないの。一箱は大げさすぎるわ」と母は言う。

たぶん、これも私の親にとっては"親ごころ"。正しい情報で、私の失敗のリスク(相手にとっての"ざんねん")を減らそうと。今思えば、物心ついたころから親子でよくあったいつものやりとり。

でもここから生まれるのは、正しい知識を積み重ねた経験値…よりも、

自分が自分でいるだけでは足りない、
もっと出来のいい表面上にかぶるお面のようなものが必要になった。

増えるよりも、大切なものが減ってった。

間違いは冒さないかもしれないけど、
長い付き合いになっても、心を許せない、自分の声で気持ちを言えない。

そこになんの意味があるの?

ずっと親の言うことは正解と思ってきた私。
この年齢になって、初めてこの言葉がよく出る。

もう責める気持ちはない。
親も完璧ではなかった。
今は時代もそのころと変わったし、
私が好きな生き方もそういうのではないと分かった

親の子育ての塗り間違いだった。
私にとっては、そう気がつけてよかった。

親も70、変わるのはもうムリでしょ。
だから、これからの私。親への相談はもう卒業。

そして私の息子たちへの子育て。
正しい情報よりも、自信を与えたい。

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