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セルフライナーノーツ(7~12曲目)

※この記事は、2021.11.1にg.o.a.tにて公開されたものです。

はじめに

3度目まして。テンタクル忍者です。

いつものライナーノーツです。今回はここで区切りました。

毎回言っておりますが、これらは作者の勝手な言いぐさで、解釈を固定するものではないので気軽に読んでください。

あと相変わらずクソ長です。ご了承。

⑦モノシラズと白昼夢

部類としては明るい曲です。一応。そのつもりで歌詞を書いた。何も知らないって幸せですよね。

モノシラズというのは漢字で書くと「物知らず」です。最初どうしても「物識らず」という単語にしたかったのですが、「識」という漢字の画数が多過ぎて演出に問題があったのでボツになりました。

動画の演出を都合に曲側の事情が変わるのは普通の依頼制作だと起きえない過程なので、これはこれで面白いと思います。ちなみにタイトルをボツにした演出は後でボツになりました。じゃあ「物識らず」で良かったじゃねえか。

でもモノシラズって名前っぽくて良いなってなっちゃったので仕方ない。彼の名前モノシラズ君にしよ。(※動画中のキャラは中性的な男です)

いつもフィーリングで歌詞を書くとどこかで必ず人が死ぬことに定評があります。手癖です。この後の曲も大体死んでます。大体死んでるって何?

作った人間の勝手な解釈を述べますと、彼は既に死んでいます。眠っていたかもしれない、と何度か出てきますが、死んでいるんですね。

当初の歌詞では最後の「僕はほんとにここにいるんだっけ」が「僕はほんとに生きているんだっけ」でした。最後の最後で完全に死んでしまった。

でもこの曲では何となくここまで「死んでいる」の直接的な言及よりも匂わせくらいにしたかったので、直前の歌詞から借りてきて「ここにいるんだっけ」に落ち着きました。

歌詞の意図としては、最初のAメロはただの作業中の居眠りのような一面を、次のAでは「夢を見る原理→夢を見ない、死んでいる」「土の下→死んだ後に入る場所だが、意識はないのでわからない」「寿命→死んでいるので数えられない」というチョイスにしています。どれも生きている人間にも分からないものばかりなので、これも仄かな匂わせですね。

物を知らないのはただ単に死んでから時間が経ち過ぎていたのかもしれないし、死んだことを認めたくなくて記憶が欠落してるのかもしれない。はたまた本当に無知なのかも。実際作者も、時計が何で1秒間に1秒分動くのか、そもそも1秒って何なのか知らない。液体が冷める原理も、夢のメカニズムも、自分があと何年生きられるかも、なーんも分かんない。そんなもん。

サビの対比。真っ白と真っ黒は言うまでもなく色の対比ですが、「青い鳥」と「赤い空」は、色としての対比と、幸福と災禍の対比でもあります。あと「氷漬け」と「水底に沈む」は氷河期(過去)と温暖化(未来)とか。水底は「泣いていようとも」の涙との関連でもあります。

……実はこのサビ対比に関しては、後から気づいたというか、大方後付けでここまで考えられました。よって本来はそんなに深い意味はありません。逆に無意識でここまで書いてるのウケる。

冒頭なんかね。ノートを前に紅茶片手に居眠りしてたわけですから、ほのぼのとした曲になる予定だったんですよ。

どうしてこんな曲になったんだっけ。作者もモノシラズ。

⑧僕らは駅に立っている

めちゃくちゃ歌詞に行き詰まってるときに書きました。

{↑って下書きに書いてあったんでそうなんでしょう。今(2021.11.1)見たらそんな記憶一切なくて草}

当たり前になっていることというのは人それぞれ沢山あるもので、ルーティンであったり、癖であったり、まあ色々あると思います。

タイトルや歌詞の通り、これは「駅に立っている」という何気ない毎日の行動の歌です。

電車嫌いなんですよね。電車が嫌いというか、満員電車が嫌いです。人混みがダメで。沢山人がいるのめちゃくちゃ苦手!だから満員電車って最悪。地獄。でも通勤するためには毎朝乗らないといけない……。

たまにふと思うことがあって、何でこんな苦しい思いまでして毎朝電車に乗って通勤してるんだろう……と。別にこちとら出勤もしたかないんですけど。そう考えると駅って牢獄に入る前の取調室のような、死刑になる前の断頭台のような、そんな場所な気がしてならなくて。

これが日常になってしまって、当たり前になって、苦しくなくなって。ふと僕らが駅に立っていることを思い出したとき、急激に息が苦しくなるのです。

背景に鳴っている踏切の音に気づきましたでしょうか?実際の踏切ではなく、自分で打ち込んだ音なのでちょっと違和感あるかも。

実は歌詞にも出てくる通り、舞台設定が一応「地下鉄」なので、周辺にあまり踏切が無いんですよね(地域差アリ)。田舎の駅にはすぐ横に踏切があったりするんですけど(地域差アリ)。

じゃあこの曲では何で踏切が鳴っているのかと言うと、これは日常への"警告"の意味があります。動画内でも少し味付けの文章として出していますが、聞こえるはずのない踏切の音が、何かを警告するように脳の遠くから聞こえてくるような、たまにそんな感覚があるのです。日常の疑問を気づかせるための警告音なのか、あるいは日常の疑問に気づかないようかき消す音なのか。

どちらにせよ、駅に関する何かしらの象徴的な音を入れたかったので、こうなりました。駅メロは地域バレしてしまう。

ちなみにメインのシンセについて。本当はもっとパキッとした音が好きなんですが、ちょっとほわほわした音なのは駅メロっぽい音色にしていた名残です。

結局色々調整していたらさほど駅メロじゃなくなった。こんなんばっかり!!

⑨夢の茶会目

ちゃかいめじゃないです。さかいめです。境目とかけています。

万年の悩みがありまして。それが、どれだけ夜寝ようが寝まいが、昼になると絶対に眠くなってしまうし、我慢できずに絶対に寝てしまうという悩みです。

かれこれ十数年この状態なので、そういった体質なのではと考えて諦めていましたし、授業は毎時間寝てた割にちゃんと成績は取れていたので苦労しませんでしたが、社会人になってその体質にめちゃくちゃ苦しめられています。

現実というのは苦しい。夢に逃げたい。それも夜の深い睡眠ではなく、昼の明るく浅い睡眠の中で。自分が何ゆえにこんな状態なのか分かりませんし、もしかしたら身体的な病だったり、はたまた単なる怠惰だったりするのかもしれませんが、ひとえに精神的な何かなのではないかと、1つ適当な結論を出したのがこの曲です。現実逃避ともいう。

曲調は普段のものからもうガラガラッと変えました。夢のふわふわのような、ファンタジーというか、現世離れした雰囲気にしたくてこうなりました。オーケストラ系の音源を使うのは難しくてあまり得意ではないので、気合いで何とか。

ちなみに茶会の夢を見たことは記憶上1回もありません。あと紅茶よりコーヒー派です。何回言うんだこの情報。

⑩n-v-km-l-s-zioa

何て読むんだシリーズ第3弾です。これに関しては本当に何て読むんですか。歌中の読み方で言うなら「ニビカムルシツォア」と読みます。読めるか。

実はこの曲の前にボツになった曲に、歌に意味なんてねえぜ!ヒャッハー!みたいな曲があったのですが、結局意味がないという意味がある(ただし意味がない)みたいなパラドックスの歌になったので、本当に意味のない歌を作ろうと思い立ったのが、この曲を作ったきっかけです。

でもローマ字を打ち込んだら、その時点で何らかの作為が必ず入るじゃないですか。それが日本語的な意味がない文字列でも、解釈の余地を与えてしまうなと思って。

ではこの歌詞は何なのかというと、パソコンのキーボードを両手でガシャガシャガシャ!!ってスライドした文面を区切ったものです。ヤバすぎ。

実は後で、この歌詞が親しみやすくなるよう適当な日本語訳をつけるかどうか迷ったのですが、それをやるとこの歌詞にした意味が全く無くなってしまうことにちゃんと気づいたので、そのまま押し通しました。視聴者は怒っていいと思う。

もしかしたら、そもそも言語って神様がこうやって作ったのかもしれないなと思って、これはテーマを「神様の歌」としました。神様も怒っていいと思う。

ボーカルに可不を使用したのにはちゃんと理由があります。

CeVIOの子は子音と母音のタイミング調整がかなり細かくできるので、英語的な発音が得意なのです。もちろんVOCALOIDでも子音のみの発音はできるのですが、CeVIOの方がやりやすいなと思った次第。CeVIOの中でも可不を選んだのは、単なる好みです。

このあまりにも無謀な歌詞(?)を歌っぽく聞こえるような発音にすべく、あれこれ打ち込みました。そもそも何て読むのかを自分が考えなくてはいけなかったので、普段使わない脳の領域を使った気がします。

こんな馬鹿な曲は多分思い立ったときにしか作れないので、貴重な経験でした。

⑪向日葵は枯れない

難産でした。難産どころじゃなかった。

たくさんのボツテーマとボツ歌詞とボツ曲に囲まれながら作りました。普段は明確なテーマを詞にすることが多いですが、今回は結構行き当たりばったりでした。

後述する⑫では花は雰囲気の味付け程度の登場でしたが、こちらはがっつり花がテーマです。

何となく、向日葵って少し怖くないですか?陽を求めて咲き、己が陽のような形であり、花畑の写真を見ると全ての花がこちらを向いているような気がする。熱心な教徒みたいな。

それは陽を求めて枯れなかった君と、君を求めて枯れない僕のようで、君にさよならも愛してるも言えずにお別れしてしまった僕の方を、向日葵がずっと見ている。……という感じの歌詞です。何事もフィーリング。

この辺りの思想はMV中にもフレーバーテキストとして出してます。尺を持たせられなかった。

後から知りましたが、向日葵の花言葉は「私はあなただけを見つめる」「愛慕」「崇拝」など。この歌の別名である「愛慕の歌」というのは、この花言葉から取ってきました。

太陽を見つめる姿から意味付けられたものも多いらしく、熱心な教徒だとか、「あの向日葵がこちらを向いたまま動かない」という感覚は間違ってなかったのかもしれません。

確か1番最初にぼんやりと考えていたテーマが「イカロス」だった気がします。そう考えると、陽を求めて枯れなかった、もしくは燃えてしまった?君はここから生まれたのかも。うろ覚えです。作者のくせに。

ちなみにこの曲に可不を用いた理由は、感情豊かに歌ってほしかったからというのと、単純に可不の声が好きだからです。細かい理由なんてない。

あとイラストの青年は己の好みを詰め込みました。細かい理由なんてない。

⑫君のための日陰になれたなら

お察しの通り、希望に満ち溢れた歌詞を書くのが苦手です。人すぐ死ぬし。

聞くのは全く苦手ではありませんし、ハッピーエンド大好きマンなので未来のある明るい話はむしろ好きですが、自分がじゃあ他人に希望を提供できるかと言われると、そんな資格ないな~と思ってしまいます。

でもきっと世の中には、先の道を光に照らされたい人間だけじゃなくて、日陰の下を涼しく歩きたい人間もいるんじゃないかと思い。光の眩しさに疲れてうんざりしてしまって、ネガティブな感情がないのに前に進めない人間もいるだろうなと。実際作者はそんな感じです。まあ歌にしてるのは日陰にも光にもなれなかった人間の話ですけども。

ここからは画的な話。

青いバラがMVに出てきますね。青いバラは昔は存在しない、存在できないもので、花言葉は「不可能」だったそうです。しかし2002年に遺伝子組み換えで青いバラが存在するものとなったことから、最近の花言葉は「奇跡」とか「夢が叶う」みたいな、ポジティブなものになったというお話が。いい話だ。

何となく、この希望と絶望の二面性に惹かれてMVに起用しました。

作中に出てくる「君」の代用でもあるんですけど、まあ、何で吊り下がってるかとか、散ってるかとかは、お察しですよ。明るい曲、書けないので。

区切ろう


何で毎回こんな長くなってしまうんだ。

曲作ってるときは結構行き当たりばったりです。こんな長くなるのは大体後付けのせい。

最後まで読んでくれた貴方はスーパーエクストラテン忍マスターです。ありがとうございます。

前回からの流れで、6曲ごとに書いたらちょうどいい気がしてきたので、また6曲後にお会いしましょう。

……実は3月に1本執筆するネタがあるので、それまでに6曲出せればの話ですが。

そちらもお楽しみに。では。

2021.11.1 テンタクル忍者

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