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川内有緒さんの賞を受賞した作文

作品は、クラフトコーラ、キャンドル、動画で構成されていました。

天水ちゃんも私大好き!!!

今年で気になるひょうげん参加5年目の天水みちえです。今年の私の作品は、徒然なるままに作文も書いてみることにした。障がい者と健常者と呼ばれている人とのはざまで思うこと。

今年、私は動きのあった年で4月から喜多方市の中央通り商店街のリオンドール仲町店向かいの喜多方BALで働きはじめ完全に1人暮らしを開始しました。

私は、8年ほど前にBALで働いていました。しかし、統合失調症を悪化させ、真冬の会津の街を全裸で歩き、警察に保護されて2年ほど入院。退院してから障がい者の就労支援B型、病院への一般就労を経て、7年ぐらいかけ段階をふみ、社会復帰してバルに戻ってきています。

オーナーの鶴さんは、私の病気や全裸の話も知ってて、その上で医療や福祉と連携体制をとってもらい、雇ってくれました。普段私はオーナーに仕事で口答えしたり、憎まれ口きいたりしてますか、オーナーは上司として理解ある優しい人だし、先輩であり友人でもあり、本当は感謝してもしきれない感じです。

月に一回喜多方市の障がいの地域生活支援部会の会議に当事者の会代表で参加も許してもらってるし、通院も行ってきなーって感じで感謝感謝なのです。

BALでの仕事は、朝、職場に行ったら、パスタ用の寸胴鍋に水を汲み、火にかけて、揚げ物用のフライヤーを温めて、フロアやトイレの掃除をしてお客さんを迎えられるようにすることからはじまります。

私の夢は、キャンドルのワークショップや販売ができる、軽食も食べれるお店をやる事です。だから、今の仕事はあーあのときああ接客すれば良かったかなとかもっと掃除できたらなとか暇だとダラダラしちゃうなとか、悩むことはありますがとても楽しく充実した毎日です。

鶴さんのところで働きはじめてから、新しい友達もできました。農家と温泉宿の若女将をやってるSちゃんや、喜多方に移住してきてゲストハウスをしているRくん、Tくん、Cちゃんたちです。

Sちゃんには、色々話をしたときに、実は街を全裸であるき画像拡散されたんだよね。って話もしたら、たまたま、その日その時の私を目撃してたらしくて、全裸でマフラーしてて、すごくシュールでびっくりしたって言ってて、まさか数年の月日を経て友達になれるなんて縁って不思議だなって思っています。

世の中には、人の過ちを拡散して嘲笑う人もいれば、大変だったんだね。って歩み寄り友達になってくれる人もいるってこと。だから捨てたもんじゃないって話。転んでも起き上がれば良いんよ。

バルのお店の入り口には、Sちゃんの協力をえて色々なハーブを育てています。お店に入ってすぐ右側のオーナー鶴さんのセレクトお土産コーナーでもキャンドルを販売させてもらっています。いま凄くやりたかったことを形にさせてもらっています。

バルで知り合いになったゲストハウスのおとまりさんでは、キャンドル作りのワークショップをやらせてもらったり、マクラメという糸編みのワークショップを受けたりと物作りを通して色々仲良くさせてもらってます。そして、ゲストハウスのみんなにも全裸の話もして、戻ってこれて本当良かったね。って彼らも言ってくれています。

今年度の私はキャンドル作りはそこそこに前半は喜多方BALで出すクラフトコーラとジンジャーエールの開発をしてました。あとはバルで大きなマルシェにも参加したりしました。

コーラ、ジンジャーエールの開発の仕方は、色々スパイスを組み合わせながら、オーナーの鶴さんに試飲してもらいながら口に合うレシピを作るという作業でした。

バルで開発したクラフトコーラは、橋谷田商店という喜多方で6次産業をやっている企業の若者達が量産製品化してくれて、バルのつるコーラが一般販売されることになりました。

振り返るとバルで働き始めた頃は、凄く接客も緊張したり、ミスったりもしてました。被害妄想に入ることもあったし。でも、毎日、働く日々を積み重ねることで、その辺の不安や妄想もとりのぞかれてきました。慣れって大事だなって思います。

10人に1人自殺して亡くなってしまう病気というのもこの10数年闘病を経験してきて分からなくもないです。でも9人は生きている。だったら9人になるにはどうしたら良いかを考えたら良いと思うし、そっちの方に光を当てて欲しい。

闘病して思うのは、今に集中するって大事かも。だから物作りは、本当に病気を改善するにはとても良い手法だとおもうんです。

わたし、振り返ると、全裸で街を歩いたことが転機になり、入院して命つなげたと思ってます。入院することで、私が死なないようにしてくれた医師、看護士さんやワーカーさん達がいて、そういう人達の存在にきづいたし。

そして、退院したら福祉のたくさんの障がいをサポートしてくれる相談員さん達がいて。

確かに、今の日本の精神医学は、薬屋が依存形態をつくらせ、医師は薬を売るみたいな側面もないとはいえないけど、でも、そればかりではないし、そうゆうシステムの中でも、命を繋いだりサポートしてくれる人たちはちゃんといるってことも忘れちゃいけないと思ってる。

私は、見方変えたら統合失調症の薬、エビリファイの中毒患者だよなともおもいます。多分薬ないと死にたくなるし、断薬はとても危険と思ってて、いまは平穏な生活するには自分に必要だと思って使ってる。そこは、10数年かけて納得できている。だから自然嗜好や自然治癒の話する人にとってはうーむって感じだろうが、いまは親の安心も得られるお薬は必須なんです。

そうそう、吉報があった。統合失調症が原因で、3歳から離れて暮らしてた1人息子がね、今年から大学生、医学部生になりました。イェイ。ドクターのたまご。その報告きいて病気して悲しかったり苦しかった過去が一気に吹き飛びました。私は間違えたこともやったし、みんながみんな理解を示せる思想の持ち主ではないです。でも母ちゃんは元気にいきてる。息子には患者さんに寄り添える優しい先生になって欲しい。

なんか、私はあいつはちゃめちゃで阿呆だったけど、おもろかったよな寂しいなって最後は笑ってもらえるようなおばあちゃんになれるよう、精進していきたい。そうそう、今年、原付のりはじめてて、本当事故しないように気をつけます。友達に田んぼに落ちんなよーっていわれたり。生きてこそですね。

本当に40歳過ぎて親に迷惑と心配ばかりかけてて申し訳ないですが、仕事は楽しいから毎日行ってます。確かにコロナの影響で飲食厳しい時期あるし、まだ続く気配もあるけどウィズコロナに転換してきてるから、もうひと踏ん張りだと思うし、私自身も自立できるよう努力しようと思います。

一足先に街に出て行っている私。障がいのある仲間たちが街に出て行けるような一つの見本、目標になっていけるよう日々積み重ねていけたらな。

なかなか障がいのある友人とは忙しくて会えてない。でも福祉ホームなどでみんなと過ごす時期はおわり、いま私は自分の技を増やして夢に近づく時期だよなと思い、ただ目の前のことこなしてる感じです。でもみんなわかって応援して欲しいなって思ってます。そのうち、市の助成金で障がいのある仲間たちにむけて音楽イベント打つので、それを楽しみにしてて欲しい。

なんて、ブルーハーツの街、いつか会えるよ、同じなみだを堪えきれぬ友達ときっと会えるよ。って歌詞をききながら思うのでした。

そう、天水は国立大の天然物化学の研究室卒業です。だから実験は得意。こんな私の作ったコーラはどんな味かな。飲んでもらいたいです。

障がいと共に生きることは、本人だけでなくサポート側も長い闘いでもあるし、だから息抜きは大事。シュワッと爽やかなジンジャーエールやコーラ飲んでリフレッシュしてもらえたらな。

天水、市の会議いくつか出てて、他の障がいを持つ人への理解も深めてはきてる。オーナーも障がいに理解を示してくれて、うちの箸袋は就労Bで作ってもらったものです。それも来店したらチェックしてほしいです。

定休日以外、毎日わたしお店にいるし、おしゃべりもするので、是非、展示みたよー。って声かけてください。貸切ランチも可能だし、ご相談下さい。是非デーケア、就労B、デーサービスの小旅行も対応できます。会津に遊びに来てね。鶴さんの料理ほんと旨いです。お待ちしてます!!

とこれで、終わろうと思ってましたが、今日9月20日、友人が亡くなった話を聞きました。同じ40代でした。私はその子の笑顔しか知りませんでした。私も全裸になる直前、そして直後はものすごく死にたかったし、自殺未遂的なことはしていてギリギリの感覚はわかります。

でも、私は、いま生きています。問題だって色々抱えてます。周りにも迷惑かけながら、全然美しくなくいきてます。本当けろっとして生きています。

同僚だった子は、おそらく悩みを抱え込みすぎて周りが見えなくなってしまっていたのではないかなと推測してます。そんなこと考えてたら、裸んぼになって街歩いて、誰かをびっくりさせる周りからみたらかなり間違えてる方法ではあったけどSOSを出せた自分はある意味正解だったなって思った。

多分悩みすぎて、命を繋ぎ止めてくれる存在が沢山いたのにまじめ過ぎてSOSだせなかったのかもしれない。

自分の命は自分のものだし、終わりを決められるのも自分。生きていくことのほうが辛いことも沢山あるし、時には逃げていいっておもうし、全て投げ出してしまうのもいい。全部ほっぽり出して少し生活から離れて綺麗な景色みたら元気がでたかもな。でも死ぬ選択は本当残念な選択だったって思う。

そんなに綺麗に生きなくても良かったのに。

まだ実感湧かないが、もうあの笑顔に会えないのは寂しい。最後にあった日は、楽しく酔っ払ってて、幸せそうで羨ましいなって思ってたんだよね。

そう、隠すのが上手い子はなかなか助けてあげられない。どうか苦しくとも辛くとも生きて下さい。どんなやり方でも下手くそや周りから笑われてしまうやり方でも構わないからSOSだして、生き続けて下さい。と思うのです。

絶対に君の周りにも命を繋いでくれる人はいるから。まずはそれに気づくことから。それは障がいがあるなし関係ないです。それは親じゃなくても、友達だちじゃなくとも、医療や福祉の人でも良いのです。助けてって手をあげたら助けてくれるから。

実は私の障がいを抱えている友達も何度も自殺未遂してます。入退院を繰り返しています。そのひとの根本原因は寂しさです。構って欲しいんです。私は彼女に対してなんもできません。以前はLINEもしてたけど、私への依存が強くて、最近はLINEもしてません。彼女には遠く離れてるけど希望となり連絡のとれる家族がいます。でも彼女はそのありがたさを忘れてしまう。たまに相談員さんに様子をきいていますが守秘義務があるから、ほとんど分かりません。

私が出来ることと言えば、自分が街にでて、きちんと生きている姿をみせることと、彼女がお店にくるのをまち、きたら美味しい料理をだして世間話する事ぐらいです。彼女はまだお店に来てません。もしかしたらもう生きていないかもしれない。とふっと思う時があります。でも、彼女の周りには命を繋ぐ人たちが沢山いるから大丈夫かなとも思っています。精神病院で知り合ってできた友達だとそうゆう風になるのかなって思っています。

だから生きれない人もいるし、生きれる人もいることも凄く分かるのです。私は冷たいかもですが、自分もギリギリのところを通過してるからSOSをだしてるのに気づいたらもちろん医療や福祉につなぐのを手伝います。でも気付けなかったら仕方ないし、自分を責めないし、命をたった人もせめないです。

でも、死ぬ前に、もう一度あの3.11を思い出して欲しい。ここ福島だよね。みんなあの大変な日を生き延びて今ですよね。いま生きている人たちはあの日、命を繋がれてる。だからそれだけで生きている意味凄くあると思う。生きたくて生きられなかった人たちいっぱいいたよね。その分も生きないと本当ダメだとおもうのです。だから危ないってときは、SOSだして下さい。

わたし、最近、きゅうり農家の手伝いをしました。その農家さんは実は話しをしていくうちに分かったのは高線量域で避難回帰困難地域だった飯館から避難して10年、会津できゅうり農家をしているご夫婦でした。私は2人に震災の具体的話はあまりしていません。でも2人が全く異なる場所に避難を余儀なくされて、必死で10年働いてきただろうことは仕事の話しを聞くうちに察しました。その出会いも命を考える良い機会になりました。

私は人を救うことは出来ないかもしれません。でも一緒にキャンドル作りましょう。で、火を灯しそこに広がる美しい世界をみてみて、一息つきましょう。それがきっかけでまたゆっくり生きようと思ってもらえたら、私はキャンドル作りをやってる意味があるよなって。

私ね、1回自分は死んだって思ってる。だから今の人生生きてるだけ、本当儲けもんって思っていきまてます。だから生きることに良い感じに力抜けていきている。それはそれで、ある意味強いのかもな。てか、もう病気のかなりの山場は過ぎたような感じで、これからは乗りこなしていけそうな気してます。

今日はもう2時すぎました。今夜は、いつもふざけた会話ばかりの友人と電話で命について話しました。同僚だった子の死を受け止めて、これからどう生きるかを考えてゆくことが残された人にとって多分とても大切なんだという結論でおわりました。明日同僚にお別れの挨拶に行こうかなと。電話につきあってくれた友人ありがとう。おやすみなさい。

追記

私は障がいのある人たちを街に連れ出したいと思っている。いまは、街の一部に多くの障がい者が集団で生活している。でもたまに街にでて街の人とふれあいより生き生きと生活して欲しいと思ってて。

最近、友達と話しててアイディアとしてあるのが、街と連携して、お掃除をしてくれる障がい者のクリーンナップ隊、清掃事業とかも良いよね。って話だ。可愛いやお洒落なデザインの作業服をきて、そこもポイントなんだか、ワクワクできるようなかんじで。また、ビジネスをしている人との話で、福祉と農業の連携の話もきいて、障がい者の労働力を必要としている人たちの存在も知ってきてて。

清掃ビジネスや農業は障がい者の働き手を必要としていると感じた。

それのキーパーソンになりそうな人たち農家さんや廃材ビジネスをしてる人たちとポツポツ出会ってきていて街と福祉をつなぐ線まで持っていけそうなアイディアが出てきそうな予感がしている。

今までは自分が生きるか死ぬかに必死だったが、少し闘病にも余裕がでてきたので、次はこれまでの経験をもとに何かビジネスをしている人たちに障がい者を繋げる仕事をしていきたいなといまは漠然と考えている。

今回の作品展は、バルで開発したコーラとキャンドルちゃんの絵、自分達の生きていた空や生活、空間を奪われてしまった、でも弱音もはかずに必死で頑張ってきた飯館からきた農家の奥さんにプレゼントすると約束している本当の空キャンドル、福島の青空と夕日と、私の今年の日常を切り取った動画で編集されてます。上半期にできたものの総まとめな感じ。

コーラは、はじまりの美術館と相談して、カフェでも飲むことができるようにしてあります。数量限定飲めたらラッキー。是非コーラを飲んでリフレッシュして新しいポジティブな思考で、展示を見たかたたちが新しい気持ちで、ここ、はじまりの美術館から新しい一歩が踏めますように。

天水ちゃんは、障がい者と健常者のはざまでこんなことを考えてます。本当私の脳はバグって幻覚幻聴妄想に入ったり、こうやって喋りだしたら止まらないし、良くこんなに喋るよなって本当、お喋りな脳みそだなって思います。あはは。

またこの展示で新しい出会いがあること楽しみにしています。

わたしの部屋には草間彌生さんの肖像画のパネルがあるんだが、いつかアーティストとして素敵だな、力強いなと思う同じ統合失調症の草間彌生さんに伝えることが出来たら、生きていてくれて素晴らしいエネルギーで作品作りをされててありがとうございます。草間さんは、私大好きとおっしゃってましたが、あなたとあなたの作品と出会い私もキャンドル作りを続けており、統合失調症の闘病経験を経て私も私が大好きになってます。とお伝えしたい。

そのためにも私は作品を作り、キャンドル作りの楽しさを伝える十人十色なキャンドルをつくるワークショップも続けていこうと思います❣️❣️❣️
ワークショップのご依頼もお待ちしてます❣️❣️喜多方にはキャンドルワークショップできる場所もセットで用意があるから是非ご相談下さい。

さ、今日はこれから会津若松市の県立博物館で開催される雪国マルシェで初回ロット分のコーラを販売してきます。今日も良き出会いがありますよーに。行ってきまーす。 おわり


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