「勉強したら負け」という雰囲気がもたらしたもの

高校に行って感じた雰囲気である。文字通り、「勉強したら負け」である。勉強せずにふざけ倒しながら最後にいい結果を出す、それが最高なのだという雰囲気である。

共通テスト殺人未遂事件の犯人がどうも私が高校受験で受けた東海高校の生徒らしいこともあって気になってしまうこともあり、週刊誌等に記事が載るとついみてしまい、それらを通じて内実が色々と見えてしまったのだけれども、その一つの記事(女性セブン)によれば「ふざけまくっているのにいい成績をとっている周りが許せなかったのではないか」などと同級生が証言しているらしいことを書いてあった。この記述、自分も共感する点なのである。

まず、私の高校受験のことを述べる。私が高校受験するにあたっては、実際の母校となる旭丘高校と東海高校は同率1位の希望順位といってもいい扱いだった。当時の私の中では東大への合格可能性を少しでも高くしたいという頭が強かった(というあたりも東大事件の子と重なってしまう)ことがあり、大学合格実績と、愛知県の高校受験制度の都合(学区がいまだにあり当時愛知トップの岡崎はそもそも受験さえ不可能)一宮高校、旭丘高校、東海高校の3高校のどれかを本命校にすると考えていた。

中学1年時点では一宮高校が近くにあることと、父親の母校であることから先行していたが、併願校の設定や校風、同級生との相性の問題などにネックがあり、中学2年の時点では地元を出て環境を変えたいという気持ちも強くなったことから一宮高校が外れた。地元を出るとしても県外で一人暮らしという発想まで許される雰囲気もなく(もし許されていたとしたら灘と開成への憧れで受験していたかもしれない。ただ、おそらく落ちていると思う。)、結果的に名古屋の2校が残った。この2校は名古屋の高校の中では伝統校でしかも進学実績でも抜きん出ていて、管理教育の厳しい愛知県にあってそれと無縁で、しかも進路指導までもが自由放任という学校。補習も宿題も、なんにもない。進学校というイメージと程遠い学校。そんな放任主義でなぜ進学実績が出せるのか。普通に考えたら謎がいっぱいつくようなそんな環境に興味もあった。

地元の公立中学時代にはそれほど多くの優等生がいたわけでもなく、完全にお山の大将状態で、そしてその中学が学校全体として競争を煽る雰囲気があり、個人としても、学校全体としてもより上位成績を取ることが是という雰囲気を(生徒個人レベルでどこまで思っていたかは知らないが、学校の運営側は)強く出していた。そして、その波に乗って成績を上げる上位層が強い。これが私の中学時点でのイメージだった。それだけに、いくらかつての勢いを失ったとはいえ、県内最上位に位置する進学校で、放任主義と言ったって、まさか「ふざけてることが是」と言わんばかりの雰囲気だとは思いもしなかったものである。実際に入ってみてたまげたものだ。

さて、実際に入ってみたら、本当に、ふざけていることが是、勉強したら負けという雰囲気だった。周りの人たちがちっとも中学時代勉強した雰囲気を出していない、にもかかわらず、キレッキレな感じに見えて仕方がない。なんだこれは。あいつら、何が違うのか。何もわからなくなった。

よくよく考えてみると、「ふざけている奴らが何故自分よりも成績がいいのか」という表現は私の場合は少し違う。というのも、私はすぐに不真面目になり、成績も落としたから。高校入試でトップレベルの成績で入ったので自分より良かった人というのは滅多にいなかった。しかし、他の人に比べて苦しいことをしている気がして、それを端的に表現すれば「負けた」感じに捉えられたのである。

私はあの妙な「勉強したら負け」の雰囲気を人一倍真に受けていた。他の人はもう少し冷静だったと思う。いや、冷静な人もいた、というのが正しく、私と似たような人もいただろうか。実際には冷静な人が、より優位に物事を進めたようにも思う。ただ、私はその部分では失敗しつつ、運動音痴で人付き合いもどこかぎこちなく、結局「頭の強さで勝負する」という人間らしく、物理やら社会科に絡むような教科との重なりの大きい部門での没頭を選んだ結果として、あの高校でも「中の上」くらいのポジションを最後までキープして、受験もまあ、それ並の結果になったというところだろう。

その負けた感じが勉強をできなくした。ほどなく精神状態も悪化し、勉強で集中力を持って、という中学の路線が破綻し、上位成績者としての自分は諦めるより他なくなった。高校一年時の挫折だ。

当時、そして、大学受験浪人の頃、これを「堕落」と受け止めた。大学受かってからも、これがなかったらなぁということを言ったこともある。もっとも、中学3年間で相当疲弊していたことを思い返せば、正直堕落せざるを得なかったかな、という感覚もあったし、あんなに勉強ムードの中学同期が大学受験時にはそれほど高い実績を残せなかったことがわかった頃には、この堕落は寧ろ中学を否定的に捉える文脈で考えるようになったもので、高校の選択を間違えたつもりはな買った。ただ、やはり、この堕落と挫折は、どうにも度し難い部分があった。

それから10年近くを経て今回の事件。これを見て思い返せば、今度はこの堕落が起きて良かったと思ったものである。中学の卒業文集の内容を見返しても私そっくりなのである。

私と彼の分岐の一つは、事件を起こした彼は、高校で中学時代を継続させようとしたように映る。私が高校の「ふざけている」を「受容」したのに対して、彼は拒否したのだろう。いや、受け入れざるを得ない事実が目の前に展開されているが、それを拒否しようと無理を重ねていたというのが正しいかもしれない。そもそも実態はよくわからないし、だから私がどこまで近い状況なのかを客観的に判断することはできない。

ただ、私の高校入試の成績があと3点低くて、高校内上位に「これから上げていこう」と思えるくらいのところにいたとしたら。そして、学校側がもう少しテストの順位をオープンにしていて、中学時代のような順位ベースの競争が可能な環境にあったとしたら。この2つがあったら、中学の路線の継続を狙っていた可能性は十分にあるし、それでいて、あのような「勉強したら負け」の雰囲気があったとしたらどうなっていたのか。東大で誰かを刺すという行動に出たかはともかく、東大での自殺という発想は容易に想像がついてしまう。

さて、進学校として実績を挙げ続けている2校に共通の「勉強したら負け」という雰囲気。よくよく考えてみると、実は合理性もある。勉強以外ですることがいっぱいある高校時代をどう生きるか。

母校であるが、部活に打ち込むなり芸術に打ち込むなり、何かに打ち込んで徹底するという雰囲気はあったように思う。ひとまず、学校がお膳立てした教科の学習そのものに没頭するのは「負け」でも、勝手に見つけたテーマに打ち込み、没頭することは是だった。普通科でありながら(しかも県下最難関の)東京芸大のピアノ科に現役合格して英国王立音楽院に留学する同級生もいた。

私の場合、周りに誰もいなかった「物理」というジャンルを持ち込むことにした。今思えば、これが色々な意味で正しかった。

まず、1人だから、失敗しようが何しようが誰からも何も言われやしない。結果から言えば、当時の私があれほど没頭できたのは1人だったからだろう。実のところ、学問に没頭する人というのはもっとずっと早いところから深いレベルで没頭できているし、大学以降そういう人たちが本当に高いレベルでの理解をしている様をみていて、もしそれと同じレベルの生徒を高校一年生の自分が同級生の中から見てしまったら負けを感じてしまって続けられなかっただろう。ただ、1人であったが故に学習効率としては非効率を極めたのも否めない。その分失敗もある。とはいえ、失敗を含めて理解について試行錯誤を重ねて、質を高めたのも、否定はできないと思う。

結局、物理の計算過程を通じて数学への馴染みや理解を広げることになり、そして、それは受験の過程でも、物理のみならず数学の点数を理系でも「稼げる」水準まで引き上げることにつながった。副次的効果だが、教科を強くすることにもつながったのである。

何故「勉強したら負け」の学校が、進学実績トップなのか。その答えも結局そこだ。趣味に没頭して鍛え上げる能力と、学業面で鍛え上げる能力の重なりが少なからずあり、そこを上手に使いつつ、最低限必要な学習、効率的な学習と、それらを自ら開発していく、というところに落ち着くだろう。あるいは、趣味というなかに、学業の要素をどれだけ収容してしまうか、という発想も試されているかもしれない。

ただ、同時に、これが私の場合には、苦手科目を放置することにつながってしまった側面もある。実際、英語について触れたり、それを深める機会は意図的に広げない限り広がらない。趣味の活動を盛り上げるだけでは、没頭するというだけでは、避けようと思って避けられる部分にまで立ち入ることはない。趣味ベースで動き、しかも独学で進めたことが、英語や古典、化学といった苦手科目に背を向ける隙を作ってしまった。ここには強制力の類が必要だっただろう。

英語の基礎学力は大学に入ってからも落第するほか、研究室の先生から様々なことを指摘されて基礎の基礎から抜け落ちてしまっていることを自覚するまで結局迷走に迷走を続けることとなった。現在もなお大変な状況にある。大学入試時代の英語本体の学力だけ言えば東大受験生は愚か、全体で見てもかなり学力底辺層に近い水準だったのかもしれない。実際、センター試験では英語そのものではなくて、周辺情報で解ける後半部で稼いでなんとか凌ぐ状況にさえなっていたのだから。

私の中で、旭丘であったからこそ東大に来れたと思う点も、旭丘でなければ浪人しなかっただろうと思う点も、ここに尽きる。個人プレイとしての物理への没頭は旭丘でなければなかったのではないか。そう思う一方で、英語等の苦手科目とのバランスはこの旭丘の趣味没頭の場より、しっかりと何かしらの意味で管理が入ったり、自己管理指標をしっかり与えてくれるような環境であれば、もう少し取りやすかったのではないかと思う。

ただ、いずれにしても思うのは、教育熱心で、学習管理がしっかりした「管理教育」の中学校の環境と、「勉強したら負け」の旭丘のような高校の相性はすこぶる悪いことだ。この組み合わせのために30目前にこんなことを書いている闇堕ち君を生み出したのだ。そもそも、中学で行きすぎた学習管理を行なってしまうと、自立した学習を構築する機会を失うことになる。どこまでが堕落でどこまでが合理的判断かもつかなくなる。中学同期も多かれ少なかれ環境の変化があって、それらが大学受験の成果を微妙なものにしてしまったのではないか、そう思わずにはいられない。

また、あるところで関わりを持った某生徒の件を見て、その想いはますます強くなった。彼は中学時代は家庭が教育熱心で塾にも入れたこともあって中学の上位2割程度にいた。しかし自由な雰囲気の学校である高専に入ったすぐに挫折して最底辺を歩んで、2年生を2回経験したところで、3年生は耐えられないと判断するに至って大学受験に路線変更をしたが、そのときには、もはや共通テストのような基本問題さえろくに解けず、世間的にはFランと言われる大学の入試問題でさえ「とても解けそうにない」と放り出すほどに学力は低下してしまっていた。

個人的な意見を言えば、学習管理を徹底する管理教育は害悪そのものであり、駆逐されるべきものである。つまり宿題を大量に出したり、そのような宿題の中身を見たり、テストの点数や順位を逐一分析したり、それを徹底して繰り返してくような教育はそもそもが害悪である。それが生徒の興味関心や趣味にあてがう時間を無くし、人間としても詰まらないし、深みのない人間を作り、挙句に学業まで崩壊させる、そうとさえ思ってしまう。

タチが悪いのは、このような学習管理型の管理教育を一度継続的に使ってしまったら、最後まで使わないといけないのだろう。私も苦手科目は軒並み潰れてしまったし、共通テスト事件犯人さんは事件起こしてしまうし、某生徒は高専でFラン生以下に転落するし。管理型教育に芯から染まった人で途中から自由教育に移行した人、かなりの割合の人が多かれ少なかれ地獄を見ているのではなかろうか。サンプルが少ないのでわからないが、そう思ってしまう。

「勉強をしたら負け」という言葉(を誰も明言していないけど)だが、その「勉強」を、「教員が徹底管理して行う、管理型学習の中で与えられるもの」と定義したら実によく腑に落ちる。確かにその場の成績は上がるのを見てきたが、後々見るとそこまででもない結果の人が目立つ。愛知県尾張地区について言えば一番自由な2校の進学実績が一番いい。自由型教育を中心に置いた観点から見たとき、管理型教育を「勉強」と呼んでしまうと、勉強したら負け、つまり、自由型教育に戻ったときにもう勝てない。そういう標語のように感じる。

勉強したら負け。完全に文字通りに受け取れば座学全般が排除されてしまうが、そうではなく、気楽に進められる趣味の活動でカバーしたり、必要な要素を自分で探し求めて、自発的な探求の成果として改善を進めていくもので、「「強いられて勉める」ことをしたら負け」、というようにでも捉えてもらいたい。

悲しいかな、公立中学校の概ね上位半分の生徒は後に大学受験に揉まれるし、その上位半分は「いい大学に行ける候補」であるが、本当にいい大学に行ける人は200人同学年がいても片手に収まる程度しかいない。つまり、いい大学に行ける「候補」の生徒の大半は「ダメ元」の候補だ。ダメ元の候補は基本的にはあらゆるものが不足しており、「頑張り」「努力」でカバーできる可能性が多少ある程度の候補である以上、管理教育が成果を上げやすい。だから、公立中学全体の方針として、上位生を優先するような学校の場合、管理教育が最適解になる。

しかし、片手に収まる程度の「有力候補」は、素晴らしい素材があり、これをしっかりと伸ばせば、優れた結果を得ることができるし、そのような育成を行うには、学校が出す学業の負担が過大になるのはよくない。自由教育の方がいいのである。

そう考えてしまうと、200人集めて片手に収まる程度の優等生を公立中学から進学させるのは不適切なように見える。管理教育と自由教育をちゃんと跨げる人間はそれほど多くはないだろう。地元の公立トップ校の出身者としては悲しい結論ながら、最上位の数人を管理教育から保護するために中学受験させるしかないのだろうか。

もっと健全な心を持った状態であの高校での高校生活を送れたならば、もう少しまともなことを書けただろう。だが、それは叶わないものであった。

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