親の気持ちと子の重圧

今度の2月に30歳になる。自分がもはや若者という立場ではなくおっさんという立場になってきていることについては実年齢にとどまらず、体の変化等も含めて、強く感じざるを得ないし、私が私の父親の33歳の時の子であるという事実を思い出せば、自分自身が生まれた時の父親の立場にほとんどなっているような年齢なのだと、そういう事実とも向き合うことが増えてきた。

子どもを持つべきか否か、ということの答えはかつての私は即答でNoだった。そもそも生まれてきてよかったのかどうかという問いについてさえNoであった私にとって、血を繋ぐことに積極的になれる理由はどこにもなかった。日々そこに存在し続けることが、どうにも許されていないかのような感覚を持ちながら、日々を申し訳なさそうに生きていた日々には、むしろ自分で絶やしておくことの方が不幸や苦しみの再生産を回避でき、誰にとってもいいことのように思えた。

自分が申し訳なさそうな生き方をした理由は他ならない親というもの以外にない。彼らは全てを私に捧げようとしていた。それを明確な言葉でも、行動でも表現していた。実のところ、それは彼らの中での理想であって、その理想の実現のために言語化して追い込んでいたような節もあったんではないかとか、そう思えるようなボロも当然あるのだけれども、ただ、やはり彼らにとって私がそういう存在であったことは否定のしようがない事実なのだろうと思う。

自分が自分のキャリアに求めたものをよくよく思い返せば、自分が2人の人生の全てが捧げられた対象として見合うだけの者たれるか、という問題があったし、それを実現することへの絶望と逃避もまた、同時にあった。自分が申し訳なさそうに生きるのは結局のところ、それがほとんど可能には思えない絶望を抱えつつ、しかしながら生きることから逃避する、すなわち自殺という行動さえも取ることができない、なにもできないところで仕方なく選ばれた道筋に他ならなかった。

生きることへの素直な欲求は、生きることも死ぬこともままならない不自由さの中で、精神性の逃避にも向かい始めた。心は宗教を欲していた。ただ、宗教にどっぷり浸かる自由もなければ、宗教の時代でもないというような、宗教に否定的な考えもまた直接間接を問わず持たされていたりした。

そんな中に「宇宙の」「普遍的な」性質を描く物理学という科学の話が舞い込んできた。その科学の知見が宗教の役割を果たすことを幾分か期待していたようにも思うし、そこで新たな知見を作ることができれば、大元の目標達成が成る可能性ともなった。その研究という仕事に没頭できればそれはもはや宗教における出家と修行の日々を実現できるもので、一石三鳥というようなことを、どこかで思っていたのかもしれない。

今思えばこのあたりは本当に愚かなところである。科学はどこまでも宗教を置換する存在ではないし、研究に没頭して生産することはただ必死なだけでできるものでもない。ただ、当時の必死さは、やはりそのような重圧やら、息苦しさやら、そういったものでがんじがらめになった自分を救える可能性として、藁にもすがるものがあったように思う。

大学院に入った頃には自分が物理学に求めたことが違っていたことくらいわかっていた。ただ、もはや真っ当に生き、社会で地位や名声を上げる欲求さえ消えてしまっていた。今に至るまで、重圧と宗教としての物理学に縋る中で焼け爛れて死んだ心でキャリアを見続ける日々が惰性で続いてしまっている。

ここまで書いてみたことは、子ども側が勝手にしたことに過ぎない。子どもが、将来的に社会で名声を上げようが、ただ道楽三昧でおおよそ人生を捧げることに「見合わない」ような生き方を選んでいようが、ひとまず関係なく、その時点での自分の人生の中で真っ先にするべきように直感的に感じて、必要なことを親はしているのだろう。それらの行動は全て、子どもの幸せになり、それがまた、本人たちの幸せである。そういうことなのだろう。

親の年齢になったが、親の心子知らず。それはどうにもならない問題である。親があれほど最初から不和を抱えるようなものでも結婚を受け入れ、今に至る人生を送ることになる選択をしたことは昔からすごい謎であったが、最近ようやくわかってきた気がする。ただ、それでもまだわからないことだらけである。

子どもも親も藁にもすがる対象をしっかりと選び間違え、そして、それによって痛いことになっている。正解はなんだったのか。そして、これから一体どうしていくべきなのか。何一つわからないまま、この歳になってしまった。

申し訳なさそうに生きる、そういう生き方をしてしまった代償は暫く払い続ける必要がありそうだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?