茨城県の高校事情机上調査編

茨城県西中学受験ぶっちゃけ座談会のパネリストとなることが決まったことと、近頃家庭教師をしていることなどから茨城県の高校事情について話には色々と聞いたものの、実際のところどうなのか気になったこともあって、ついには自分なりに調べ上げた。せっかくなのでそれを公開する。

もっとも、これは実際の受験生目線の情報ソースを利用してい(でき)ないことや、その親向きの内容でもないので、現実に受験する際の調査では実際の学校の資料や、塾などが調べている資料などを当たって欲しい。

以下の内容は全てこの地図を念頭においたものである。これは2021年の旧帝大+筑波大に5人以上合格した学校を図示したものであり、ざっくりとではあるが、有力校を表していると考えてもらって良い。もちろん、人によっては、「〇〇高校も有力校だぞ」や、「▲▲高校は有力校カウントじゃないでしょ」と考える人もいるだろうが、外部から来た、人の親でもない私がそれをいちいち細かく記すのは筋違いだろう。

名称未設定 1 P1 7

(県立高等学校改革プラン 基本プラン及び実施プランⅠ期PDF資料中高等学校分布図を改変して作成)

地域の進学校事情

県全体のトップ校は県南と水戸にある。県西の事情を知る意味で、もう少しレベルの低い学校の地域分布や、その形成の歴史を検討した。まず、地域ごとにそれぞれある進学校の実態は、ごくわずかに東大などの最上位大学への合格者もいるが、概ね茨城県内の筑波大学に数名から数十名程度、茨城大に数十名の進学者を輩出する程度の「学区の」進学校が基本のようである。付録に述べる歴史的経緯によって形成された伝統的な学区の進学校と、戦後の都市化が進んだ時代にできた、上位校を補完する学校である。

まず、伝統校について述べる。水戸第一と土浦第一の二校は県全体の代表格なので別格とするが、それ以外の、下妻第一、日立第一、太田第一、下館第一、水海道第一、竜ヶ崎第一、鉾田第一という、「第一」とつく学校のうちの旧制中学由来の学校がそのまま今も進学校となっている場合だ。

基本的には地域ごとに1〜2校あって、進学実績について言えば、下妻第一などは毎年100名以上の国立大進学実績を持ち、竜ヶ崎第一など、筑波大学にも10名以上進学する実績がある。東大京大等の最難関大進学希望についてはより上位校に集約させつつも、それ以外の層は地域の進学校で手堅く固めている

スクリーンショット 2021-07-05 19.47.50

(主な県立高校についての学校別国立大学合格者数。ただし地名+第一高校については編集時の都合により「第一」を省略表記している。)

戦後新設校の中で最も有力なのはつくば市の竹園高校であり、つくば市に多くいる優等生を受け入れており、筑波大学合格者数でも49名で全国1位である。また、数では最上位格の4校にこそ劣るものの、東京大学の合格も2~3名程度ながら毎年あり、私立茗溪と並ぶ有力校である。

次いで有力校になるのは、土浦第二水戸第二緑岡の3校である。これらの学校は土浦第一や水戸第一の水準が高いために満たされない需要を補完する地位にある。水戸第二は実質女子校であり、歴史的には実質女子校時代を持つ土浦第二ともども、茨城大学進学者および、教員希望者の割合が高いという指摘がある(筑波大学合格者数と茨城大学合格者数の比をとると、水戸第二は実際に茨城大学合格者数が多い)。これらの学校と、周辺の私立校(茨城水城土浦日大常総学院)や高専といった学校が最上位グループを補完している。

古河市と鹿行地域の事情

特異な地域としては古河鹿行があり、これらの地域は茨城県他地域との交通が不便である。また、古河は県外へのアクセスが容易な特徴がある。

まず古河について述べる。旧8学区時代に同一学区だった水海道は遠く、市内の古河第一高校は歴史的経緯により進学実績を上げられず、長年進学校を地元が要望した結果、古河第三高校が開校した。しかし、期待したほどの実績は挙げられず、近年では隣接県の公立学校の受験が可能となる協定が結ばれていることもあって、埼玉県や栃木県の公私立校が受験されているようである。

その結果、古河中等教育学校が開校して以降は、古河第三は国立大に毎年30名程度まで落とし、古河中等に実質的にバトンを渡したといえる。中学受験をしない場合には、古河中等は完全一貫校であるため、古河第三で不満足な場合には越境を余儀なくされる。埼玉県と栃木県の県立校の一部を受験可能なので、埼玉県の北部の有力校を狙うか、私立ということになる。

鹿行地域では清真学園が有力私立校としてあるため、これを中学もしくは高校で受験するのが近場で対応する案となる。また、千葉県越境が可能なため、鹿島線で越境して佐原地区を狙う手もある。幸か不幸か、千葉県はいまだに強力な学区制を敷いているため、県中心部の有力校以外でも少数ながら高い実力を持つ生徒が混じっており、最有力大学合格実績もわずかながらある高校がある。

国私立高校の事情

概ね水戸周辺と、つくば・土浦周辺に偏っている。例外は取手の江戸川学園取手と、鹿島の清真の2校だが、県西などはない。茨城県は愛知県や兵庫県のように、県立で2校受験できないので、公立校に合格できなかった場合、遠方の私立へと遠距離通学を強いられる可能性が高い。

公立が強いため、伝統的には私立校は「県立落ちの受け皿」だが、一貫校として異なる学校環境を用意したり、県立上位高落ちを受け入れて成長させてきた茨城・江戸川学園取手・清真・茗溪・土浦日大などは有力校の一つとなっている。また、国立高専も上位層の進路の一つである。

トップ進学校(東大合格者数年2桁程度の学校)事情

地方でトップ進学校の一つの基準は「東大合格者数年2桁」という説がある。これを基準に考える。

もともと茨城県内のトップ校は水戸第一高校である。しかし、筑波研究学園都市の開発と歩調を合わせて、土浦市の土浦第一高校と、取手市の江戸川学園取手高校が成長し、90年代、00年代とトップ校を形成していた。2010年代に入ると、05年のTX開業に伴う交通事情の変化による県外流出がくっきりしてきたのか、はたまた人口減によるものか、全体での東大合格者数が減少し、これらの学校も合格者を減らしている。

また、県立並木高校を改編して県立中高一貫校の並木中等教育学校が開校して以来、江戸川学園取手の低迷が顕著に進んだ。並木中等も2020年に東大2桁合格を達成しており、2021年時点ではトップ校は公立3年制2校と中高一貫2校の2+2体制という状況である。

スクリーンショット 2021-06-03 21.35.32

(データは進学校データ名鑑より。東大合格者数の年次推移を土浦第一、水戸第一、江戸川学園取手、茗溪学園、竹園、並木の6校についてみた。2021年だけ見れば土浦第一および水戸第一の非一貫トップ校が2強。)

最上位校がある地域とない地域の差異

県都である水戸と、人口密度の高い県南の進学校需要は大きい。また、学校が多数あり、その結果、入試難易度の高い最上位校が成立し、これらを補完する中上位校が存在している。一方で、それ以外の地域では、学校数も少なく、学校間の差が開き、一つの学校が幅広い成績帯の生徒を育てる必要が生じる。

実はこの傾向は進学実績でも現在もあることが見て取れる。というのも、例えば、下妻第一高校は数年に1人ペースと非常に少ないながらも東大合格者がいる一方で、入試偏差値では下妻第一を上回っている土浦第二高校は東大合格者は70年通算で2人と、東大合格者は実質皆無状態なのである。

交通の面でやや隔絶された、最上位校のない地域では、中堅校も最上位校の機能を一部分担していて、その意味で「それほど競争することなく進学校に行ける」(座談会主催者談)環境ができている状況にあったように見える。

無論、たとえそういった進学校に入っても、そこで十分に結果を出すことなく次のステップに行けるかというとそうは甘くないだろうが、不必要・不健全な競争を回避しながら、地域でという括りはあれど「一番の学校」に行けるのは、それほど悪い話ではない。

中高一貫校の大量設置問題と成績上位者の進路

茨城県が現在進めている公立中高一貫校の大量設置計画について述べる。完全一貫型と併設一貫型があるが、完全一貫型は並木(つくば市)、古河の2校があり、2021年に勝田に新設された。併設型が大胆で、2020年に太田第一、鉾田第一、鹿島、竜ヶ崎第一、下館第一の5校、2021年に土浦第一、水戸第一、2022年度に下妻第一、水海道第一という具合にわずか3年で9校も一貫化する。

現状、併設型が中心であるということは選択肢が増えるだけということでもある。別の記事で書いている通り、あくまで中学受験は選択肢の一つに過ぎず、そこに行けばいいという単純な図式ではない。とりあえず、最初の図で書いた学校は全部で20校ある。

県立完全一貫校:2校
県立併設一貫校:6校(移行予定含む)
県立高校単独校:4校
私立併設一貫校:6校
私立高校単独校:1校
国立高等専門学校:1校

中学からしか入ることができない学校(完全一貫校)は2校(並木、古河)しかないが、高校からしか入学できない学校は6校ある。6校のうちの1つは高等専門学校であり、ここは5年教育なので、大学3年次編入試験によって大学に編入という形にはなるが、旧帝+筑波5人以上だ。高等教育機関でもあり、穴場の一つだろう。東大5人以上は3校しかないが、旧帝+筑波であれば、数は確保されている。

ただし、分布としては、つくば市や土浦市の付近に8校、水戸市周辺に5校と、地域に偏りがある。いずれにもアクセスしやすい常磐線沿線はともかくとして、他地域ではこれらの学校にアクセスしづらいケースも少なくない。とりあえず、県西だと出て行かない限り、うーん、選択肢が少ない。地域内部だと中学で入るか、高校で入るかの違いだけ、かな?

付録:歴史的事情など

一言感想を言うならば「面白いはずなのにつまらない」県だった。

調べれば調べるだけつまらなさが出てくる。と言うのも、地方県あるあるの典型例で強い私立校や国立校がなく、公立が王者であり、その公立も単独選抜だから愛知県みたく「レベルに合わせた併願先」を考える文化もなく、それによる秩序の明確化もなく、東京の日比谷みたく学校別独自問題もなく、また、学区も全県一つ。簡単に言えば、こだわりも何もない。

過去を調べてもつまらない。日本全国の公立高校に対して、小中学校みたく通学区域を指定していた戦後であっても、全県8学区というそこそこ大きな学区を作りつつも、県全体から見れば細かく切るには切っておき、その学区を90年代に至るまで維持した。その後5学区に集約するも大きな混乱はなく、最後、全県1学区になる。
戦後〜1992年:8学区制
1993〜2005年:5学区制
2006年以降:全県1学区
都道府県によっては1学区につき1高校しかないという制度を採用していた場合もあって、学区数が毎年のように変化していた時期も少なくないのだが、最初に学区数を決めてから最初に変更するまでの時期が埼玉県に次いで二番目に長く続いた県だ。長期安定。

一方でなぜ面白いはずなのか。それは、茨城県を取り巻く状況が戦後、全国でも有数の激しい変化をしているからだ。筑波研究学園都市と鹿島臨海工業地帯という、地域を大幅に改変してしまう国家プロジェクトを2つも受け入れ、さらに県南部は東京都市圏の拡大で常磐線沿線を中心に東京に組み入れられていく経験をした。官民の両輪で地域を改造され、片田舎に県2番目の人口を持つ都市が形成されるという変化さえ生じた。しかも、その二番目の人口を持つ都市が「筑波研究学園都市」という特異な教育環境を持つ。こんな街ができてもなお、地方ローカルの平和な高校の制度を維持できたことは茨城県の特筆すべき特徴だろう。

旧8学区制時代の事情

茨城県の高校は8学区時代に概ね現在の秩序ができている。8学区が決定された頃の普通科県立校の学区別の分布を書く

水戸:水戸第一、水戸第二、水戸第三、(那珂湊第一)、那珂湊第二、(笠間)
土浦:土浦第一、土浦第二、土浦第三、(石岡第一)、石岡第二
日立:日立第一、日立第二、高萩
竜ヶ崎:竜ヶ崎第一、竜ヶ崎第二、(取手第一)、取手第二
水海道:水海道第一、水海道第二、
鹿行:鉾田第一、鉾田第二、(鹿島)、麻布
太田:太田第一、太田第二、(大子第一)、大子第二
下妻:下妻第一、下妻第二、下館第一、下館第二、(結城第一)、結城第二

太字は旧制中学校由来、()は旧制実業学校由来である。

「第一」高校と「第二」高校があるのが特徴である。第一高校は共学化に成功し、特に旧制中学に由来した学校は学区ごとの進学校として機能したが、第二高校は女子校化した。「第二高校」は、水戸と土浦を除けば進学実績も乏しい普通の高校だ。例外として土浦と水戸だけは、第一高校を補完する形で進学校として機能している。

1970年代までであれば水戸第一高校のみ東大合格者数で高い実績をあげるものの、他の学区の進学校はそれほどの実績を挙げることはなかった。(1950年代に県で3番目に東大生を送り出した下妻第一高校でも、10年間で22人。)特に、1970年代の10年間は、県全体から254人が東大に合格したが、162人が水戸第一高校、55人が土浦第一高校という有様で、水戸第一の一強、土浦第一だけは他よりはマシながら、あとは合計しても37人と、束になっても叶わない状況だった。それが80年代以降、筑波研究学園都市が開発されてから激変し、今に至るというような変化は当然起きている。しかし、それは私立高の整備という側面を除けば、表面的な対応で済ませられてしまった。

旧学区時代と現在の連続性から考える、茨城県の「東大は集約、進学校は分散」スタイルの謎

旧8学区時代に、戦前から継続する「第一高校」は学区ごとに1ないし2校であった。したがって、それぞれの学校間は競争することなく、また、地域の優等生を独占できたと考えられる。例えば、下妻第一と水海道第一は常総線によって互いに比較的容易に移動できる程度の距離だが、学区が異なるため、進学実績が片方に集中することを回避し、過度な競争を阻止する働きをしただろう。実は、これらの学校はかつては全て、東大合格者を輩出することもあった。比較的顕著な例は下妻第一で1950年代、東大の定員も今の半分だった頃の10年間で22人の東大合格者を出していた。そのような実績もあり、地域でブランドを作り、学区がなくなってからも一定の進学実績を保ちつつ、偏りをつくらないことによって、過度な競争を回避している。

ただ、残念なことに旧8学区の線引きは、茨城県の交通事情を知る人からすれば「何も考えずに引いただろ」と怒りたくなるような線引きであった。例えば、古河市から水海道へは鉄道・バスが一切通じておらず、むしろ下妻・下館のほうが高校生にとってのアクセスはいい。あるいは、筑波町は土浦側の学区だが、特にその西部は下妻市に非常に近く、越境したところにいい学校があるのになぜ通えないのか?と思うような線引きである。

また、大子町と常陸太田は鉄道では乗り換えを要するほか、鹿行の学区は南北に細長いが、8学区制の時期のほぼ全期間、南北を貫く鉄道は整備されていないため、学区内ではあっても、実質選べないような不便な学校も少なからずあっただろう。

画像2

(旧8学区時代の学区図。「筑波研究学園都市の社会地理学的分析」より改変。赤い点のある町には旧制中由来の「第一高校」があり、現在でも概ね一定の進学実績を持っている。)

おそらくこのことは、越境したい人を多数生んだのだろう。詳細不明ながら、1960年代あたりから東大進学者数の水戸第一への集約が進んだことから、そのあたりのどこかの時期から越境受験が認められるようになったのではないかと推測する。詳細不明ながら、8学区時代でも、かなり緩い「定員の20%程度」の越境入学を許可していたという話を耳にしている。この越境可能という制度が、中学での最上位成績者の流出を招き、「最上位大学進学者は最上位校に集約」という結果を招いた一方で、大半の上位成績者は地元の進学校を受けるという形態を生み出し、今に至ったと推測している。

中高一貫校の話

併設型中高一貫校では高校からの入学定員という観点では定員が半分になることもある。土浦第一高校の例をとると、これまで320人の定員だったため、3学年960人在籍しているのだが、今後中学から80名とるという。80人は6年在籍するので、一貫組が480人教室を占有するので、外部からは480人しか受けいられず、これを3で割れば160人である。

一貫枠を1クラスに絞る場合でも高校からの枠としては2クラス分削減される。少子化という状況に合わせて、うまい具合に定員削減を実行するための策として機能している。

茨城県の場合、土浦第一や水戸第一まで一貫化に走って1学年あたりの生徒数が大幅に減るので、実績の維持は困難ではないかと私は見ている。県外脱出層が県外脱出を止めるには実績が上がる必要があるはずで、その意味では脱出層は長期的にも増えるかもしれない。もっとも、高校受験組は難易度が上がるので、ブランドの低下はそれほどないと見る。高校受験組で土浦第一を忌避して進学先を変える層に有力者は少ないとも見えるので、竹園が大逆転するというのも想像しづらく、結局竹園の尻が微妙に上がって、土浦第一の東大やら医学部やらの数値がごく僅かに減って差が少し縮むのと、中学受験定員が増えるので中学受験文化が長期的にはできてきて、並木がそれでまた上がる、という予想をする。

共学か別学かの文化的事情

戦後改革で高校三原則とよばれる原則の一つに男女共学があった。戦前は男女が完全に身分的にも異なり、戦前の中等教育学校である中学校は男子校、高等女学校は女子校であったのだが、それを一気に共学化しようとしたのである。

全国的には、特に西日本を中心に共学化が強く推進され、もともと中学校だった学校と高等女学校だった学校を統合して新制高等学校を作る例も少なくなかった。(例:愛知県立第一中+名古屋市立第三高女→愛知県立旭丘高)一方で、東日本を中心に戦前のまま共学化をほとんどしなかった県もある。

茨城県は「建前上」共学化をした。すなわち、中学校や実業学校をベースとした第一高校と、高等女学校をベースとした第二高校を設置し、制度上は共学化した一方で、学校の統合や校舎の改修といった積極的な共学化策は撮られなかったと言われる。

それらの消極的な結果として共学化に時間がかかったことは言うまでもないが、興味深いのは、第一高校は共学化に成功した一方で、第二高校は制度上共学ながら実質女子校という道を辿ったことである。戦後の一時期を除いて「入学者の男子がゼロ」という事態に陥ったという。そのような時期にもわずかながら男子入学者がいた場合もあったと言う話もあるが、現在もその状況が続いている水戸第二高校や日立第二高校の経営計画を見ても近年の数字に男子は見当たらないことや、学校案内での生徒の記述に「女子校」と言う文字列があることなどから、制度上ないし法的には共学校だが、女性専用車同様に「ご理解とご協力」のもとに、中学校等がおそらく進路誘導に関与しているのではないかと思われるが、(性同一性障害の子などはどうしたのか...本人の強い希望で女子校進学を希望する例がありそうな気がするが何らかの強制力が働いたか。)例外なく女子校として運用される状況となったという。

これまた興味深いが、戦前から茨城県は高等女学校が多数整備されており、21校もの公立高等女学校があり、16校は同一地域に「第一高校」があったため第二高校となって、これが実質女子校となったと言うのである。1990年代に共学化が再度図られるまで第二高校は女子校として定着していた。いまだに水戸第二高校、日立第二高校は実質女子校、水戸第三高校もほぼ女子校状態であるという。

消えた男子問題

歴史的経緯として、90年代以前だが、第一高校が共学で第二高校が女子校となると、定員的に男子の収容力が小さいことが容易に想像される。実はいまだに第二高校が女子校で、第三高校まで女子校に近い状態にある水戸市内は、公立普通科に在籍する男子生徒数は合計1547名なのに対し、女子は2794名にもなる。1253名の差分はいったいどこに消えたのか?

最初は周辺市町村の普通科で収容していると考えたが、大差ないか女子が多い場合ばかりなので、そうではなさそうだ。次に私立を考えたが、統計が見当たらないため詳細は不明ながら、私立も女子校があって男子校がないというので、私立さえ似たような問題が起こっていても不思議ない。

県立高校については統計資料が比較的容易に取得できたので、そこで見る限りでは、水戸市内の県立高校では、工業科の合算値が男子793名、女子159名と634名の差分を収容しているほか、隣接市でひたちなか市の工業科を見ると男子671名、女子39名と632名の差分を吸収している。したがって、工業高校が男子を多く収容していることがわかる。

だとすると推測されるのは、暗黙ながら、「男子は成績が良ければ進学校から進学し、成績が悪かったら工業高校でも行って働け、一方で、女子は、頭の良し悪しによらず適当なところの普通科に行く」という風潮があるのではないかということである。ところが、地元民の感覚としては必ずしもそうではなく、出てくるのは共学校の話である。例えば、水戸第二高校であれば緑岡、かつての土浦第二高校であればつくば市の並木高校など、近隣共学校を受けたと言う。あるいは、私立だ、と。

これが示すところは、都市部では少なくとも玉突き現象が起きているということだろう。たしかに近隣の対応する学力層の共学校は男子の方が多いものの、より低学力の学校の普通科が再び女子の方が多くなってそれで全体として普通科では女子の方が多い。その一方で男子が多いのは工業高校ということである。

では、学校数の少ない地域ではどうだったか?工業高校に行く文化があったのではないか?と考えていたところ、ちょうどいい具合に会の主催者さんに聞けばいいではないか。下妻市は第一高校第二高校以外の高校がない地域であり、第一高校にいけないとすぐに困った状況になる地域だ。この地域について、下妻第一高校出身の人に聞くことができた。

その言葉を掲載すると「下妻一高行けない子は、下館工業高校の電子科へ行きます。普通科がいい子は、常総学院や土浦日大岩瀬校舎、県立だとだいぶ落ちますが筑波高校です。」

大当たり。統計があるわけではないが、工業高校が一枚噛んでいることはほぼ間違いないようだ。工業高校でも電子科は比較的優秀なようで、こちらが受け皿として一定の地盤を持っていたというのが真相のようである。もっとも、現在では下妻第二高校は共学化されていて男女比は3:4程度。大学進学率の向上や、地域のライフスタイルの変化もあり、状況は幾分変化しつつあるようでもある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?