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太極旗と日章旗

親日の歴史忘れた太極旗

8月27日付の産経新聞に掲載された、東海大・島根県立大客員教授の下條正男氏の寄稿文が、日韓関係を考える上で大変重要な内容だと思いましたので、一部抜粋してご紹介します。

おそらく、多くの韓国人や日本人にとっても、意外と知られていない歴史的事実ではないでしょうか。

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韓国の国旗である太極旗は、日章旗を基に作られていた歴史的経緯がある。その日章旗がベースとなっている旭日旗と太極旗は、親戚の関係にある。

それも韓国の国旗である太極旗が誕生したのは、明治初期、外交官の宮本小一(おかず)が朝鮮に対し、「国家として自立するには国旗が必要だ」と説いたのが始まりである。それについては、日本統治時代の評論家、文一平「太極旗の模様は宮本小一の提案」としている。

だが、実際に「太極旗」の素案に関わったのは公使の花房義質(はなぶさよしもと)である。1880年、清朝の黄遵憲の「朝鮮策略」では、朝鮮に対して、清国の「龍旗」を国旗とするよう求めていた。それを知った花房が81年、「我(わが)国旗の日章に、仮に三巴(みつどもえ)を縫付た」国旗を試作し、それを宮本小一が朝鮮に提案したからだ。

その太極旗は、日章旗に三つ巴を縫い付けて「両国同心の意を表」し、「朝鮮の独立を標(しる)す」ものとされ、それを見た朝鮮の大臣たちも皆、「首肯(しゅこう)」したという。

この三つ巴の太極旗は、後に二つ巴の現在の太極旗となるのである。82年、朝鮮修信使の朴泳孝(パクヨンヒョン)、金玉均(キムオッキュン)らが日本を訪れた際、一行が搭乗した明治丸には「太極旗」が掲げられていた。その太極旗には、清朝からの自立の意味が込められていたのだ。

日清戦争の結果、97年に自主独立の国となった大韓帝国はその象徴として、清朝の使臣を迎えるための「迎恩門」を壊して「独立門」を建てたが、その独立門の文字の左右に彫られたのは太極旗である。

太極旗には、清朝に隷属を強いられた朝鮮が、日本とともに近代の門を開こうとする「両国同心の意」があった。徐(敬徳、ソギョンドク)氏(韓国による日本の国際的な地位の失墜を目指す運動「ディスカウントジャパン」の中心的人物で「韓国の広報専門家」と呼ばれる)は、旭日旗を戦犯旗とするが、太極旗は19世紀末に作られた「親日旗」である

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以上、ポイントをまとめると、
太極旗は、日章旗を基に作られていた歴史的経緯がある
◎太極旗には、清朝に隷属を強いられた朝鮮が、日本とともに近代の門を開こうとする「両国同心の意」があった
太極旗は19世紀末に作られた「親日旗」

こういった”歴史的事実”を両国民がしっかりと共有したいものですね。

どんな国でも「歴史を忘れた民族に未来はない」のですから。

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