『苦しみのさなかにあって』(2011年5月4日の記事)

皆さま、こんばんは。


筆者が、過去に苦しみや、本当に自分が消えてしまいたいくらいの辛い(自身にとっての)挫折の中、心から救われたのは、まったく無関係の人が、何事もなく暮らしている様子を目にした時だった。


それは、たまたますれ違った、ある親子の道端で談笑する微笑ましい姿に、えもいわれぬ安堵感というか、絶望感がなぜかすっきり晴れ、雲間から一筋の光が差すように、何か救われたような気持ちになった、というようなこと。


悲しみのさなかにある人々を目にした時に、同情ではなく、自分自身が同じ境遇に置かれたことを思い、共感し、行動する。


まったく、同じ体験を共有はできなくとも、せめてもの「思い」を共にすることはできるのではないか。


でなければ、私たちは、戦争や悲惨な出来事を、何度も何度も懲りずに繰り返さなければ、何も学べない事になってしまう。


そうではないからこそ、過去から教訓を得、学び、たとえ繰り返される歴史の皮肉があったとしても、何度でも起き上がって、失敗を減らし、成功を増やして行こうと思えるのだと思う。


そのためにこそ、小説や伝記を読み、映画を見、世界で起きている出来事を知り、情操を養い、知識を蓄える事が欠かせず、人と人が交わる事の役に立つのだと思う。


苦しんでいる人たちと同じように心が沈み、悲しみの中に傷をなめ合うかのように、寄り添うことだけを考えるのではなく、元気に、さわやかに、日々を送る事だと思う。


そうした姿が救いになるはずだ。


十分に、日本中が思っている気持ちは伝わっていると思う。


※追記


県内の多くのゴールデンウイークのイベントが、規模縮小などの自粛ムードでひっそりと行われる中、はとバスツアーなど、急な予約が殺到していたようで、ここ何週間かしきりに「自粛の自粛」を訴えていた新聞・テレビなどのメディアの効果だろうか、被災地を除き、多くの観光地が結構な賑わいを見せていたようだ。


今回の東日本大震災においては、ごく近い地域(といっても数百キロは離れているが、、、)で、甚大な被害を目の当たりにした事、世の中の動きを冷静に見れる環境、年齢になってきた事などがあって、いろいろと多くのことを考えた。


政治、新聞、テレビなどの報道、それぞれについて、特に臨機応変な対応ができているかどうかという点においては限界のようなものを感じたし、国の内外を問わず、個人の力を痛感するでき事が多かった。


正直、「日本はすごい」というような、やや感傷に過ぎたように見られる反応も際立っていたように思うが、日本人の優しさが滲み出たのだとも思う。


ただ、それはそれとして、何事においても冷静な分析は、どのような立場であれ、特に管理者には絶対に欠かせない要素である。このことも痛感した。


“被災地”を伝える際の、テレビ局側の意図のような物を感じるにつけ、沖縄県の米軍基地問題に際しての、“現地の声”と同じくらいの違和感を覚えたのも、そういう観点を筆者が重視するからなのかも知れない。


被災地での避難所生活を余儀なくされておられる方々の苦労を思うにつけ、どのような態度で接するべきか、仙台市の避難所をひと月前に訪れてより、良く考える。


その時に思い浮かんだことを綴ってみた。


※この記事は2011年5月4日のAmebaブログに投稿した記事を、筆者の農業観を表す上で大切だと考え、加筆修正・再構成の上、改めて投稿するものです。

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