轉戦記 第二章 中支編 栗山巷の難①
常に最前線に在りて敵を急追する、我が戦闘部隊には、後方よりの物資の補給すら受ける事が出来ない。 丁度此の日も長途の強行軍の果て、三方山に圍まれた谷間の栗山巷の部落に到着したのが正午頃であった。 敵機来襲を避けて、部隊は此の部落に大休止をした。 一同は腹も空いて居るが、不眠不休の強行軍だったので、「食べる事より先ず眠る事が先決問題」とばかり、軍装を解くやゴロリと打ち倒れる様に眠むってしまった。 二時間程熟睡して、一同は食事の準備に取りかかった。 夕刻の五時には、行軍体形を整えて出発する事になって居る。 食事と云っても材料は何もないので、部落内から唐辛子の葉や、黄色に枯れかかった南瓜の茎等、集めて来て岩塩を入れて汁を作る。 これでも第一戦の戦闘部隊としては、上等の食事である。 食事の準備も大体出来て、いざ食べ様として居た所、不意にけたたましい機関銃の音が、狭い山の谷間の空気をゆさぶる様に響き出すと共に、弾丸が家の附近に飛んで来だした。 敵襲!と気着いた時には、既に戦闘に馴れた脳神経は、手足に敏速に無意識の中に、戦闘の七ツ道具を身に着け終らせて居た。 私は身体に装具を着け乍ら、眞っ先に飛出して、宿舎の直ぐ裏の一番高い山に駈け登った。 続いて中隊全員も登って来たが、途中が草一本ない禿山なので敵は恰好な標的とばかり、この山に弾丸を集中して来る。 危険極まりない。山の頂上迄着いたら樹木もまばらにあるので、此処で敵の所在の方向を探すがさっぱり判らない。弾丸の飛んで来る方向も、右からと思えば左から、左からと思えば前方の山の方角から、と云った工合で、おまけに敵は松林の中を利用して居るので、敵影を見る事すら出来ない。 我等は應戦の処置に迷って居た。 後方で第三小隊長の、若い士官学校出の将校が、「古年兵は、弾丸の方向を確めい」と、山に伏せたまま大聲で命令して居る。 すると、即座に「馬鹿野郎!小隊長が其の位いの事を解らんで何うする」と、古年兵の怒鳴り聲がはね返って来る。私は「不覚」と思った。 我等は三方に敵を迎えて居るのだ。 暫く伏せたまま敵状を窮(うかが)って居る中に、敵の様子も解って来た。 此の山頂から見ると、此の附近の地形は手に取る様に良く見える。 此の栗山巷は、両側に山を控えた山間にあり、此の二つの山脈は延々と前方に長く続いて居る。 我等は、此の危険な地形の、山間の平地を行軍して行く事になって居るのだ。 兎に角、これは容易ならぬ敵らしい。 各小隊は命に依り、夫々任務を帯びて分散した。 我が小隊は、荒武中隊長と共に此の山頂に残ったが、暫くすると「やられた!」と、私の横に居た中村軍曹がブッ倒れた。
一九五二年 十月十三日 夜記
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