轉戦記 第一章 北支編 序

一家に長があり、一国に頭首があるが如く、世界にも最強の一国が統治者と成らんとしてゐる。況んや、文明の発達と共に其の兆(きざし)は瞭然と成り、遂には武力を以て其の位を競ふ二十世紀の人間は将に戦争の為めに生きて居るのである。

明治の開化以来八十有余年、日本は急速の進歩と共に、大日本帝国として強力な軍隊を養ひ天皇を中心として、一九四一年 一二月八日には世界最強の列国を相手とし、大東亜共栄圏と八紘一宇を唱えて、東亜の盟主を夢見、世界第二次大戦を挙国一致して開戦したのである。

 戦野に向ふ物は総て、君の御馬前に死す事を光栄とし、銃後の人亦激励するに「死せよ」と言葉を送るのが普通であった二千六百年の悠久の歴史と、神国を信じてやまぬ国民一般は、敗戦を知らぬ国民でもあった。 然し、破れる事の悲嘆を知らなかった国に与えられた敗戦は地球創始以来の悲惨を以て、一戦は終わった。 然かも、天皇の一聲を以て、瞬間に幕は降ろされたのだった。

 終戦後の日本は、此の国に再び見る事は出来ない程の混沌さであった。 言葉や筆で表明出来るものではない、只此の時代に生きて居た者のみ知る事の出来る苦しみであった。 戦災飢餓死 自殺 それにあらゆる犯罪は平然と何処の巷でも行はれた。 此れに加えて天災は毎年各地を襲った。 一時は日本も崩壊するのかとさえ思われたが、現在終戦以来四年嘗つての仇敵である米国を始め、中華民国等の物心両面の援助に依り着々として、嘗ての好戦国たりし日本が、戦争を放棄した平和の憲法を遵守して、早急の再建を成し遂げつつある。果たして戦ふ事を好む日本に、平和国家が維持できるか何うかは扨て置いて、今や再び海外に於て世界第三次大戦が始まらうとしている今日、他国の勇ましい軍隊を見るに付け、昔日の日本の武威堂々の軍隊を懐しく偲び感一入深し。

 去る六月七日 九州に巡幸された天皇は、津久見駅にも五分間程下車されて、町民の吹奏する「君が代」に答えられた。 人間となりし天皇を拝せし人々は皆、共通の言ひ伝えぬ感情を以て、涙なくしては此の場に列する事は出来なかった。

 予ねての念ひである私の従軍記も、復員后忙殺され書き得なかったが、天皇巡幸を期に、心新らたなるものが有り、書き始める可くノートを買い求めていたが、馴れぬ仕事に疲労し、遂に今迄書き得なかった。 今日機を得てペンを執ったが、生死の間を彷徨した時代は、記憶する事さえも出来なかったほどの苦闘であり、ましてや、六年前からの記憶を辿るのであるから、僅かなメモを片手に思ひ出し乍ら、後になり先になり書き綴り以て、後世参考に成さんを希ふ。

  一九四九年 十月四日記 雨夜

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