見出し画像

☆霊的装置としてのキース・リチャーズ

スーパーボール(2006年記)のハーフタイムショーでのローリングストーンズの公演は、コアなファンにも概ね好評で迎えられたようだ。

かく言う僕も、たった三曲の演奏にも関わらず、久し振りにストーンズを見る、聴く、味わう、楽しさを大いに満喫した、という感じだった。

昨年(2005)のアメリカンウォードでコンサート会場からの中継でゲスト出演したときのストーンズは、見ていて何とも残念だった印象しかなかっただけに、今回の生中継はほっとするものだった。

今回は、
1.StartMeUp
2.RuffJustice
3.Satisfaction
という構成で、定番二曲で新曲を挟んだ三曲しか演奏しなかったので、昨年の中継と違い体力的に余裕があったという辛口の見方もあるのだが・・・

僕が何しろ嬉しかったのは、歌いながら、ステージの上を重力を感じさせずに身を翻しながら左右前後にスライドしてゆく軽やかなミックの姿を見ることができたことだった。

ミック・ジャガーの偉大さや面白さは数々あれど、ことライブでのミックとなると、僕は、このスライディング・ミックの無重力アクションにとろとろっとしてしまう。

ミックのステージでのアクションが横軸の動きならば、ミックの横でちらちらと映っている、キースは、ほとんど棒立ちとなっているイメージがある。あくまで、ミックと比べてのイメージだが。

テレビ中継での、また、実際の会場で見ると、キースも、それなりにというか長い年月で熟したアクションがあり、決めポーズをとるまでにあちこち動いているのだが、ミックの横軸に対して、縦軸の世界の住人であるような気がしている。70年代の残像かもしれないが。

アシッドにどっぷりの頃のキースは、確かに棒立ちというか立っているだけでも精一杯で、ミックに演奏しなくても良いから、ただ、ステージに立っていてくれ!と言われたという伝説がある。


ミックが、ステージの横に突き出した花道や前に突き出した出べそを自由に滑降し、観客をあおあってゆくときに、キースは、縦軸のエネルギー、天空と大地のライン上に棒立ちになり、ミックの作り出す祝祭空間に霊的なエネルギーを補償しているかのように見えてきた。

そこに奥行きをもたらしているのが、絶妙の間合いでステージの少し奥からドラムを叩き出しているチャーリー・ワッツ。

スーパーボールのストーンズのステージは、久し振りにこういう祝祭空間のストーンズが現れた瞬間だった気がして、とても楽しかったのだ。


2006.02.10記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?