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秋山祐徳太子さんのかろうじての思い出

秋山祐徳太子さんの訃報を聞く。

秋山さん、ユウトクさんと呼ばせていただいていて、親戚のオジサンみたいな感じだった。

秋山さんもまた、名古屋ゼロ次元の岩田さんのように追悼の言葉が似合わない人だ。

個展会場の最終日に秋山さんを見かけることが多々あった。初日には賑わっていた会場が最終日や搬出のときには人もいず寂しくなることがあるから来てやってんだよと話していた。その目は、後片付けを始めている作家に暖かく注がれていた。でも、ほんとうに暖かかったんだろうか・・・

長閑な風貌を装いながら、計算高くシャープな頭脳をもち、他人との関係の重要さを熟知していた。他人を見極めるときには冷酷な刃が一閃する気配があった。

秋山さんのお座敷芸の凄さを見たのは、アーチストユニオンの宴会が上野の料亭で開かれたときで、読売アンパンからの芸術家であり闘士であった方々がコの字に座してワイワイしている真ん中でのパフォーマンスだった。

縁があり、結婚式の仲人兼司会をやっていただいた。

その後、お会いするたびに、まだ別れてないんだってね、オレが司会した結婚式はだいたい別れるんだけどな、と実になぜか照れくさそうにおしゃっていた。

それにしても、身が軽く、どこにでも出没し、出会う人にそれぞれのイメージを配っては、次の会場?に出かけるのだった。

宴会をしているとやおら秋山さんが現われ、メンバーをそっと確認し、気のおけないメンツだとズボン下1枚になってのびのびとした風情で世間の巷談をユーモアを交え始めることがあった。
ゴールデン街で飲んでいると午前1時過ぎぐらいに木の下闇のような奥からやおら起きたての顔で現れることもあった。昼寝ならぬ夜寝して夜明けまでの喧々諤々に備えるのだった。

そんなある夜に、昔のフランス映画で「パリの空の下セーヌは流れる」ってのがあるだろととまり木に戻った寝ぼけ顔で話しだした。
ロマンチックなタイトルに周りがあれ?と。
「あの映画に出てくる芸術家を見て、オレは芸術家になろうと思ったんだよ」
えっ、ユウトクさん、あの画家って殺人者じゃん!?
「お前も良く知ってるなぁ。そうだよ、殺人芸術家に憧れたんだなぁ。で、ムサビに行った!」

芸術と犯罪が同じカードの表裏であることを生涯忘れなかった。

今でも、雰囲気の良い宴会場や飲み屋にいると秋山さんが覗きに来るような、奥から突如ふらっとでてくるような気がする。

2020.04.09

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