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丘の上学園卓球部100話 At Random (02) 【丘の上の学校のものがたり 雑記】

007

少年は、卓球が下手だった。自分でもそう思っていたし、瘦身の長身で長い手足を不器用にばらばらに振り回しながら、球を追いかけて卓球台に向かってあちこちにドタバタしているのは、誰が見ても、下手だなと思われるのに十分だった。

長身でガタイの良いのが入部してきたなって、期待していたんだぞと、1年もたたないうちに先輩から言われた。期待を裏切りやがってというのと、期待されていたんだから頑張れよという励ましが、混ざりあった声かけだった。

卓球の練習をもう少し真面目にすれば、ある程度の水準まではゆくだろうが、少年の自覚では、卓球は好きだが、ある程度の水準を超えることは出来ず、で、いつもの結論としては、どうも才能はまったくないらしかった。

長いラリーを楽しそうに卓球台で打ち合っている光景を眺めていると、何だかわからないが体の中にその楽しさが伝染してくるようで快かった。

年にほんの数回だけ、とても調子の良い日があった。そういう日には、体のバランス感覚も良く、卓球と一体化しているようだったし、第一に球が普段よりも大きく見えた。大きく見えるので、球が回転して作り出している表情がよくわかり、その表情に合わせたり、変化をつけるようにしてラケットを振ることができた。

卓球台から遠ざかり、久しぶりに卓球に向かうと球はとても小さく見え、こんな小さなボールを打っていたのかと驚くほどで、球は表情を見せもせず、ただの白球を腕の先に装着したラケット板で打ち返すだけだった。打たれた球も実につまらない音を立てて卓球台の上を跳ねていた。

ある日、顧問の先生に呼び止められ、「腰を使え!」と言われた。そういえば、先輩たちからも何度も言われていた。しかし、少年の自覚では、ラケットを振るときに腰を動かしているのだった。

卓球部時代の自覚はそこで止まった。少年の傲慢な限界だった。

それから20年ほど経ち、30代半ばに合気道を始めた。

そこでのアドバイスは丹田を安定させることを意識して動きなさいということだった。稽古を重ねてゆくうちに、丹田を安定させ、その他の身体能力を丹田を中心にして動かすことが少しづつ理解できるようになってきた。体の中心軸が、丹田を通って安定し、こころもち体がだいぶしなやかに動くように思えた。

この時に、20年前に言われた、「腰を使え!」というアドバイスが頭の中で甦ってきた。

早速、体の中心軸を意識して、卓球の素振りをやってみた。今までにない爽快感があった。中心軸の周りで手足がドタバタすることなく体の動きがまとまりスムーズに動くのだった。

と言って、また、卓球を始めたら、実にスムーズにできたというわけでもなく、先生や先輩から言われたことを今さらながらやっと体感しただけなのだが、卓球台の周りでしなやかに体のバネを伸び縮みさせ、球がまるで生きているに見える卓球をしていた、あこがれの部員たちが味わったであろう快感の一端を味わえた気にはなれたのだった。

008

丘の上学園の卓球場は、古色蒼然として威容を誇っていた大きな講堂の地下にあった。

地下の卓球場へは、小柄な少年たちが上下でかち合うとひとりが体を斜めにして何とか通り抜けられるぐらいの狭い階段を下りてゆかねばならなかった。

外光を背にして、地下に下りてゆくと、やや黄色みがかった電灯に照らされた地下室に、卓球台が4台あった。

学園の伝統を一身にあらわすような大きな講堂のつくりは、その時代の最先端の装飾を施し、堅固な石造りで揺るぎない権威をあらわした作りで、その一部でもある、地下への階段は、入り口からしてゴチック風の装飾された石造りで、神殿にも入るようなというと大げさだが、それに近い雰囲気で、階段を一歩踏み出すと、普通の階段よりもやや急に感じられるのも、ここから急降下することが、別の世界に行くためには必要なんだと入場者に告げているようだった。

この階段からは、地上に上ったときよりも地下に下りたときの情感を思い出すことが多い。

他に卓球場への出入り口はなく、卓球場へ降りた同じ回数を上っているはずなのに、だ。

地下の卓球場に向かう感覚は、特別なものだった。大げさに言えば、日常とはかき離れた異世界への訪問という趣きだった。

地下に下りる階段の途中までは、学校のなかの人の気配や外気の風と光が体に触れて、軽く渦巻いていた。ところが、地下の卓球場の入り口の手前ではそれらはみごとに打ち切られ、卓球場の少し湿った空気の匂いと低い天井に反響した人の声、何よりも卓球のボールの卓球台で弾む音が少年をようこそと迎えていた。

こんな特別な世界は、他にはないと思っていた。世界がどうなろうと、ここには、卓球をする楽しい声とボールの弾む音が響いていると信じていた。まるで、世界から切り離されて存在する世界みたいだった。

中間試験や学期末試験の早朝にこの地下を訪れると卓球の音はせずに、卓球台に教科書やノートを広げて、試験直前の勉強をしている先輩たちの姿があった。そのときは、卓球のボールの代わりに、先輩たちの声が卓球台の上でやり取りしていた。試験の範囲やポイントの確認でもあったし、試験前の緊張を和らげるジョークが飛び交っていた。

少年は自分の試験勉強をするふりをして、その先輩たちのたわいない会話を楽しんでいた。

地下の卓球場は、季節によっていろんな空気を持っていた。春には、新入部員を迎える緊張感が漂い、夏には、この季節に充分に汗をかいて練習した後に遊ぼうという解放感、秋には、他校との試合が待つ大会への静かな闘志、冬には、何となく自分の卓球に対する姿勢を省みざるをえないような雰囲気があった。

また、地下に下りたときにいる、先輩や同期や後輩たちのメンバーによって、その空気は、重さや軽さを変えていた。少年には、どの空気も、この世界を称えているようで楽しかった。

もちろん、少年がその空気に自分がそぐわないような気になって、退部してゆくことになるのだが。


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