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大人になって初めて、おいおい泣いた。声を出して泣いたときのこと。

初めての妊活で化学流産を経験したときのこと、日記があるので振り返り記録します。

10月の終わり、排卵日あたりから2週間以上生理がきてなくて、もしかして?!と思って実施した妊娠検査薬。陰性だった。早過ぎたかな。

それでも、その後も生理は来ず。でもなんか妊娠ぽい兆候も全然なくって。ダメならダメではっきりさせたい!って思って婦人科を受診。そしたら、うすーく妊娠反応ありとなって、でも確定はできないのでまた来て下さいってなった。妊娠の可能性に、沸々と嬉しい気持ちが湧き上がってきた。嬉しい気持ちと、これでダメだったら悲しいなという気持ちで、ぬか喜びにならないように、自分で自分に保険かけてた。まだ確定じゃないしって。

数日後、再受診。「採血結果としては妊娠しています。でもまだ4週だから胎嚢も確認できないだろうから、また来てください」と。
焦らされるな、って思ってた。

数日後、再受診。エコーで胎嚢の確認ができるかな?と思ってソワソワしてたんだけど、病院では胎嚢見えず。ちっちゃいのかな、もう少し待ってみましょうか。って先生に言われる。
これを2回くらい繰り返して、これは成長したとしても通常の経過は辿らないだろうな、って思ってたそんなとき、生理のような出血がわずかに。次の休みに受診しなきゃな、と思ってたら翌日大量出血。明らかにいつもの生理とは出血の仕方が違ってた。普通に出勤しつつ頻繁にトイレに行ってて、そんな中で、きっとこれが胎嚢になるはずだったものだ、と分かるようなコアグラが出ていたタイミングがあった。

重い生理痛に加えて倦怠感もありつつ、フラフラの中なんとか仕事を終えて帰宅。
自宅で1人、これは流産だ、と確信して涙が出た。どう考えても妊娠継続できていないだろうと。何度調べても、今回の経過は、医学的には「妊娠」という定義には満たない事象のようで、その事実にも悲しくなった。

初めて私の身体の中で受精した生命は、私の実感だけ残して去っていった。

こんなに悲しいかな、と思うくらいに、漫画みたいにおいおいと、嗚咽が出るほどに声を上げて泣いた。
しばらく自分自身の悲しみに向き合った後には、こんなに悲しい気持ち、夫には生まれてないだろうな、私がどれだけ悲しんだか夫は知らないだろうな、って勝手に思ってまた悲しくなる。身体的な変化も何もないんだから、しょうがないよね、と思いつつ。あんだけ妊娠を期待して、不安も抱えて、仕事の休みやりくりしながら頻繁に受診していたことも。

夫が帰宅したのは0時を過ぎた頃。一通り泣いて、その頃には落ち着いて報告できた。
身勝手に、″私ばっかり頑張って、私ばっかり悲しんでる″って思ってたけど、身体を労ってくれて「残念だったけど、2人だけの人生もいいなって思ってるよ。」って言ってくれた、優しい優しい夫。私もそう思ってる。子供がいてもいなくても、この人とずっと生活できると思って結婚したから。でも赤ちゃんを期待したちゃったから、一度妊娠しましたって言われたから、子供がいる3人の生活を想像してしまったから、こんなに、とってもとってもとっても悲しい気持ち。胸がぎゅっとなるような。

きっと、もっとお腹の子どもが成長してから流産を経験した人もいっぱいいるんだろう。エコーで胎嚢を確認してから、お腹の膨らみを感じてから、胎動を感じてからの流産なんて…、私には想像できない悲しみなんだろうな。

流産する確率は、医療機関で妊娠が確認された人のうち15%前後。

新型出生前診断 NIPT Japan 

多くの女性が経験するという事実、私は今回の妊娠まで知らなかった。検索魔になって、不安もたくさんだったけど、妊娠に関して沢山のことを知ることができた。
私が、夫に見られずおえおえ泣いたように、もしかしたら身近な女性の中にも同じような経験をして悲しみくれた日があったのかも知れない。

時間はある程度解決してくれるもので、1ヶ月以上経った今はまた、次のタイミングに前向きな気持ちでいる。

今回の経験を経て、妊娠を希望している人、辛い妊活を頑張っている人みんなに幸せな結果が訪れますように!と願う気持ちが強くなった。

人は悲しみが多いほど 人には優しくできるのだから

贈る言葉/海援隊

まさに今回のテーマ。私の頭の中でずっと流れていたよ。

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