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#18見えてるもので推し量れる心なんて雀の涙ほどだよ

この世に存在する事象は全て多面的である。

これは私が日常生活を送る上で、常に念頭に置いている考え方だ。

小さい頃、私はみんなが出来る「普通」が出来なかった。片付けができなくて自分の部屋は足の踏み場がないほど常に荒れていたし、やることリストを達成したことなんてないし、すぐ物を無くすし毎日忘れ物をした。自分でも不思議だった、みんなと一緒のやり方でやってるはずなのにできなかった。

「みんなは目の前の壁をハシゴ使って超えるかもね、でもあなたはハシゴを持ってないの、でもモグラの手があるでしょ?目的が壁を超えることなら掘ってくぐればいいじゃない。」

確かにと思った。母のその言葉がこの思考の原点となった。母は私に多角的視点と柔軟な思考法を生活の中で教えてくれた。

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今の私はどうだろう、部屋は綺麗だし、やることリストは毎日全部達成してる。忘れ物も減ってきた。大人になったから?ちがう、あの頃と違うのは、自分の苦手を自分でカバーできるようになったからだ。

ハサミを置く場所、本を置く場所、部屋にある物には全て住所をつけて帰る場所がある。住所を付けられなさそうなものはそもそも迎え入れない。Todoリストはやりたいことからやっちゃうから上から書き出さない、優先度と緊急度に分けて優先度の高いものからこなす。細々した持ち物はひとつの巾着にまとめておいて、それをお出かけに合わせたバックに入れる。

こんな感じで自分の苦手を自分でフォローして、なんとか人にそして自分に迷惑をかけない状態を保っている。

ちなみに話が少し逸れるけど、忘れ物が完全に無くならないのは、私のする忘れ物ってだいたい出先で買えちゃうことが多いからそれで対処してしちゃってるところがある。良くないんだけど、結局今はこれが最前で、出先で買ったリップが増える度にトホホな気持ちになっている。きっと私はそのへんの誰よりも忘れ物による支払額が多いと思う。

「できない」はある一点からみた評価で、
「うまくいかない」もある一点からみたやり方だ。ひとりひとり向き不向きがあって、ひとりひとりに合ったやり方が、合った環境が絶対あると私は確信してる。「違い」は「間違い」じゃない。100人いれば100通りの正解があるのだ。

この世に生まれてから今日まで、1秒1秒の積み重ねで何年もの積み重ねで、それぞれがそれぞれのバックグラウンドをもって今日を生きてる。だからたとえば、今あなたが私を否定しても、私はあなたを否定できないししないよ。

否定の言葉だけを切り取れば、あなたは私を否定した悪者になるかもしれない。でもその言葉の背景には何があるんだろう、何がどう作用してその言葉が生まれたんだろう。色んな角度から眺めてみたら、実は私が悪者なのかもしれない。だから否定を否定しない、できないんだ。

ネット上での一部分だけが切り取られて、影響力のある人たちが炎上してるのをみるとなんだかなあと思っちゃう今日この頃です。

そんなことを言ってながら、私だって自分に余裕が無くなると見えてるものでしか判断できなくなる傾向がある。その度に「ああ、なんでこの部分に配慮できなかったんだろう、気づかなかったんだろう」と後悔する。その度に、見えてるもので推し量れる相手の心なんて、雀の涙ほどだと思い知る。

それが悔しくて悔しくて、帰り道に、寝る前にちょっとだけ泣いて、物事は多面的であることを再認識する。

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歳を重ねるたびに「Emmaちゃんは優しいね」と言われる機会が増えた。優しさってなんだろう。

それぞれに個があって、それぞれにバックグラウンドがある。自分が正しいと思った優しさも、あなたにとってはナイフになるかもしれない。それを念頭におきながら常に人と、自分と接すること、それが私は優しさだと思う。優しさに正解は無いけど、そんな優しさもあっていいと思う。慎重に、慎重に言葉を選んで紡いで接していく。

だから私は言葉がすきだ。
目の前のあなたに選んだ言葉がどう届くか見届ける時はドキドキしちゃうけど、ちゃんと届いた瞬間がたまらなく好きだ。

今日も言葉を伝えさせてくれてありがとう。
大切にえらんだ言葉を明日も伝えるから、
私もあなたから届く言葉を楽しみに待ってるね。

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