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#23 自分に語りかける時も、敬語で

今日は少し手の込んだお菓子を作ってみようとか、今日は珈琲を豆からひいてみようとか、そんな日常のひとコマひとコマのベクトルを自分の「好き」だけに向けて生活できてる、最近。

周りの目はそこまで気にならなくなったし、周りのことも気にしなくなった。今年は「好きか好きじゃないか」から「好きか無関心か」へと変わった1年だったと思う。

何かがきっかけでガラリと変化したわけじゃない。それは潮の満ち干きみたいに気づいたら結構変わってた感じに近い。「好きじゃない」には感情がひっぱられてネガティブになることが多かったけど、「無関心」にはそれがない、興味が無いのだ。だから好きなこと以外はどうでも良くなった。

限られた今という時間を「好き」だけに向ける。やりたいことが湧いてくる、アイデアが湧いてくる。もっとワクワクしたい。

そんな気持ちと裏腹に、いつのまにか好きもワクワクもコントロールされている。Netflix、X、ティックトックにamazon、日々進化するレコメンド機能によって何を見て、何を参考にし、何を買うか機械に決められる時代を生きている。

アルゴリズムは何が美しくて、何がおもしろいのか、自分にとってそれは意味があることなのかを自問する時間を奪い、考える隙も与えず「好み」だけをピックし安心感を与えている。手のひらの中の世界で見つけた私の「好き」は、ほんとうの「好き」なのかな。

気づかないうちに私たちはこの快適な世界に浸っている。一方でそれは私たちから「偶然」という本質的な幸福を奪っているのかも、と思った。

気になった本屋さんに入って気になった本を手に取って読む。その本は全然面白くないかもしれないし、もしかしたら人生を変える言葉に出会えるかもしれない。snsは当たり障りのない「好き(仮)」を提案できても心をつかむ外れ値は提案できない。

スクロールをすれば「好き(仮)」が手に入る私たちにとって、好きじゃないかもしれない「偶然探し」に工数を割くことははばかられる。新しいことに踏み出しにくくなったのは私たちがオトナになったから?と思ってたけど違う、わざわざ外れるかもしれないクジを引きたくないからだと言語化ができたのはつい最近のこと。

私のもっとワクワクしたい、は
もっと偶然を探したい、なのだ。

私のアイデンティティは手のひらにきっと収まらないの。丁寧に丁寧に、自分と対話しながら、「好き」を愛しながら偶然を見つけに行く2024年にしたい。

自分に語りかける時も、敬語で。









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