見出し画像

周りを勇ませることが本当の陽気

ある先人の先生のお話に、
 
 
 
 
村一帯が旱魃で田んぼの水が渇いた際、
 
村の人は協力して自分たちの田んぼに
 
せっせと水を入れていたが、
 
その先生は、
 
「自分の田んぼはどうなってもいい。」
 
と、村を出てお屋敷で百姓仕事をしていました。
 
 
 
 
そのことに対して村の人達は、
 
「あの人はちっとも顔を出さずに手伝わない。」
 
と、良く思っていませんでした。
 
 
 
 
そこで、
 
「自分はお屋敷へ水を入れさせてもらえれば
 
こんな結構なことはないと満足しているが、
 
村の人に不足さしていては申し訳ない。」
 
と思い、おやさまへお伺いし、
 
村へ帰って、自分の田んぼではなく
 
他所の田んぼへ夜遅くまで水を入れた。
 
 
 
 
すると、水一杯入れた覚えの無い自分の田んぼに、
 
地中から水気が湧き上がっていた。
 
(教祖伝逸話篇「122. 理さえあるならば」)
 
 
 
 
というお話があります。
 
 
 
 
この先生は、
 
「自分は満足していても、そのことで
 
周りに不足させては申し訳ない。」
 
との思いで、人のために働いたことで、
 
神様にも働いてくださったんですね。
 
 
 
 
おさしづにも、
 
 
 
 
「神が連れて通る陽気と、
 
めん/\勝手の陽気とある。
 
勝手の陽気は通るに通れん。
 
陽気というは、
 
皆んな勇ましてこそ、
 
真の陽気という。」
 
 
 
 
と、ありますように、
 
自分だけが満足して勇んでいるのは
 
我が身勝手な陽気であり、
 
神様の望まれているのは、
 
周りの人たちも含めてみんなが勇んでいる
 
真の陽気なんですね。
 
 
 
 
また、おやさまは、
 
 
 
 
「皆の心が勇む日が、
 
一番吉い日やで。」
 
 
 
 
と、仰られましたように、何事も、
 
「みんなの心が勇むには?」
 
という基準で物事を考えることが
 
大切なんですね。
 
 
 
 
そして、おふでさきに、
 
 
 
 
「みな揃て早くつとめをするならば
 
側が勇めば神も勇むる」(1-11)
 
 
 
 
と、お記しくださいますように、
 
側の人、周囲の人も勇ませることで、
 
神様も勇んでくだされるんですね。
 
 
 
 
また、おさしづに、
 
 
 
 
「さあ/\皆んな揃うて、
 
日々に心が勇めば、神も勇む。」
 
 
 
 
ともありますように、
 
自分だけが陽気に勇むことだけを
 
考えずに、周りの人も勇ませるよう努め、
 
みんなで勇み心を揃えることで、
 
神様にも勇んでお働きいただけるんですね。
 
 
 
 
自分だけの勝手の陽気に気をつけて、
 
周囲に心を配って勇ませ、
 
神様の望まれる真の陽気を目指して
 
通らせていただきたいですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?