見出し画像

「よふぼく」はいつから?

おさづけの理を拝戴した人のことを「ようぼく」と呼びます。

天理教の人なら、もちろん知っていますよね。

ずっとそう聞かされてきましたから。


ところで、おさづけの理を拝戴した人のことを「ようぼく」と呼ぶようになったのは、いつからでしょうか?

  • 教祖が初めて赤衣を召された明治7年

  • 教祖が身を隠された翌年の明治21年

  • 一派独立をはたした翌年の明治41年

  • 復元が提唱された翌年の昭和21年


ごめんなさい。全部違います。

正解は



「昭和34年」です。


天理教の歴史の中では意外と新しい出来事なんです。

それでは、順を追って説明していきましょう。



まず「おさづけ」について


教祖ご在世中には、複数のさづけがありました。

・扇のさづけ
・御幣のさづけ
・肥のさづけ
・いきのさづけ
・煮たものぢきもつのさづけ
・水のさづけ
・ぢきもつこう水のさづけ
・あしきはらいのさづけ
・てをどりのさづけ
・かんろだいのさづけ

天理教辞典(第三版) さずけ(p.387)

教祖伝や逸話篇で見かける「さづけ」もありますね。

この中にある「あしきはらいのさづけ」が現在の「おさづけ」です。

かつて教祖によって、いろいろな種類のさづけが渡されたが、明治40年、本席飯降伊蔵が出直しの折、以降このさづけを渡すと定められ、以後授けられているさづけは「あしきはらいのさづけ」だけである。

天理教辞典(第三版) あしきはらいのさずけ(p.387)


「あしきはらいのさづけ」を最初に授けられたのは、明治7年、辻忠作先生です。

なお、さづけ自体は明治7年から遡ること10年前、元治元年からいくつか授けられているようです。


つぎに「よふぼく」について


おふでさきでは「よふぼく」「よふぎ」と表記されています。

初めて出てくるのは、明治7年に書かれた「おふでさき第三号」です。

だん/\とをふくよせたるこのたちき
よふほくになるものハないぞや (三 - 49)

一寸はなし神の心のせきこみハ
よふぼくよせるもよふばかりを (三 - 128)

よふぼくも一寸の事でハないほどに
をふくよふきがほしい事から (三 - 130)

現在の「おさづけ」が初めて授けられた年も、おふでさきに「よふぼく」という言葉が初めて出てくる年も、どちらも明治7年です。

なかなか、興味深いところです。


さらに「教規と規定」について


○ 明治21年

明治21年は、教祖が身を隠された翌年です。

「神道直轄天理教会」を設置するにあたり「神道天理教規約」が制定されます。


○ 明治41年

「神道天理教規約」はその後、何度か変更が加えられ、明治41年に一派独立のタイミングで、10章50条からなる教規と12種の規定に定められました。

その時の教規に、下記のような表現があります。

信徒にして授訓を得たる者を教徒と称する。

天理教辞典(第三版) 教規と規定(p.278)


「授訓」とはおさづけの理を拝戴することです。

つまり、おさづけの理を拝戴した人を「教徒」と呼ぶとしたわけです。

ちなみに「授訓」という言葉、最近は使われなくなりましたが、牛込詰所の事務所では普通に書いてあります。


また「教徒」の表現ですが、同じ発音で現在「教人」という言葉がありますが、もちろんこの2つは違うものです。

教徒:おさづけの理を拝戴した者
(昭和34年まで使用)

教人:よふぼくで所定の検定や講習を経て本部に登録された者
(昭和34年以降に使用)

ちょっと余談でした。


○ 昭和21年

さて、明治41年の一派独立から時が進み、昭和21年。

戦争が終わり、復元が提唱された翌年です。

この年の教規改定で、先の部分が次のように変更されます。

信徒でおさづけの理を授けられた者を教徒と呼び、教師の職務を補佐する。

天理教辞典(第三版) 教規と規定(p.280)

授訓という表現が、おさづけの理に変わっています。


○ 昭和34年

そして昭和34年の教規改定で、ついにこの表現になります。

信者で、さづけの理を受けたものをよふぼくという。

天理教辞典(第三版) 教規と規定(p.282)

このように変遷して、おさづけの理を拝戴した人を「ようぼく」と呼ぶようになったのです。


まとめ


おさづけの理を拝戴した人を「ようぼく」と呼ぶのは、ある意味、人間が決めたことです。

人間が決めた「ようぼく」です。

だからといって、人間が決めた「ようぼく」はダメだ、と言うつもりはありません。

「ようぼく」という立場だから、「ようぼく」と呼ばれるからこそ、人助けに向かう人もいるでしょう。

仮に積極的に人助けに向かえなくても、そういう心構えで通ることもできるでしょう。


そうやって年限を重ねていくことが大事だと、おさしづには書かれています。

年限の経ったものでなけりゃよふぼくには使われようまい。
年限の経たぬものはよふぼくにはならん。
( … 中略 … )
年限経てば年限相応だけ間に立つ。
年限の古いよふぼくでは揃わん。
後々足らぬ処は年限待つより外はない。
年限経ったならこそよふぼくという。
(明治28年10月7日)


人が決めた「ようぼく」になったときが、親神様が望む「よふぼく」へのスタートかもしれませんね。

種を蒔いたる年限からよふぼくという。
さそうと言うて出来るものやない。
しようと言うてさせるものやない。
(明治31年10月1日)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?