大いなる野望
その頃、「祈り」それ自体に言及する書物は稀有に近かった。
もちろんそれらが記述された書物も存在はしていたが、多くの論調は背後にユダヤ・キリスト教の影が強く感じられる内容となっていた。それらは確かに整理され説得力のある内容ではあったが、キリスト教を大前提として語られているに過ぎなかった。
そのようにキリスト教に回収するような特定の立場からではなく、わたしの内的欲求を満足させるような言説が欲しかった。何よりわたしは、その「祈りの手」の祈りという現象のその奥に見え隠れする、彼をしてそう行為せしめている[であろう]大いなる「理り」のようなものがそこにあるように思えてならなかった。
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