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地下アイドルのOnlyFive論争は、現代の社会問題に通じている

1.はじめに

オタクの皆様、現場もなく在宅コンテンツしかない中いかがおすごしでしょうか。

オタクは自粛で暇なのか、最近TLを見ていると、OnlyFiveというコンテンツのあり方について物申す人がめちゃくちゃ多くなっています。

これを見ていて、私はこの論争は現代社会におけるある問題と共通しているのではないかということに気づいたので共有してみようというわけであります。

まず地下アイドルのオタクであればもう大体の方はご存知のOnlyFiveというコンテンツですが、

簡単に説明すると、

①アイドルが写真をアップロード

②オタクが先着5人まで購入可能

③アイドルがサインやメッセージを入れて返信

というシステムで、すなわち宿題チェキのオンライン版とでもいうようなサービスです。

各写真につき先着5人しか購入できないため、「OnlyFive」というわけです。


で、今このサービスでどういう問題が発生しているかというと、

様々な事情で購入できないオタクが、「全然買えない!古参ばっかり買っていて不平等だ!未購入者にも行き渡るようにしろ!」と主張する一方、(追記:「古参有利ではないだろ」という指摘を多数いただいておりますが、どうも購入できていない方がそのような発言をしていることが多かったためこのように記載しています。実際にはシステム上そのようなことはないのですが、恐らく彼らのイメージとして「古参で買っている人が多いように見えている」というのはあると思います。)

購入できているオタクが「買えないのは努力が足りないからだ!新規でもちゃんとサイトに張り込んでいれば買えている人もたくさんいる!」と主張して、空中リプで叩き合っているような状況があり、

あろうことかこうした内容でアイドル本人に注文をつけだす面倒なオタクまで現れる始末。


以上が問題の概要です。くだらないですね。


しかし、これを「なーんだまーーーたオタクという面倒な生き物が騒いでいるだけか」と済ませてはいけません。

この問題、実は今世界中で社会を揺るがしている政治的な大問題と同じ構図なのです。


2.「機会の平等」と「結果の平等」

皆様はタイトルにある「機会の平等」と「結果の平等」という言葉についてご存知でしょうか。。

長年、人類は平等が大事だということを考えてきましたが、実はこの「平等」という言葉、近年では2種類の意味を持つようになってきています。

それが、「機会の平等」と「結果の平等」です。

前者は、「与えられる機会が平等であれば、結果は不平等でも構わない」、後者は、「結果まで含めてある程度平等でなければいけない」という考え方である。政治学的に言うと、現代の保守は前者、リベラルは後者の考え方の人が多いです。


さて、これは具体的にはどういうことなのでしょうか?

アメリカの例がわかりやすいのでそちらを紹介しましょう。

アメリカでは長年白人が優遇されており、黒人やアジア系は差別に遭い、大学なんかでは白人以外そもそも入学できないようになっていました。

しかし時代が進み黒人やアジア系の人権が主張されるようになると、

「黒人やアジア人はこれまで差別されてきた。彼らを大学に入れてあげるため、大学の定員が1000人だったら、黒人300人、ヒスパニック200人、アジア系100人は最低でも入れられるように、人種毎に定員を設けて、確実に彼らを大学に入れてあげよう!」という考え方が出てきて、実際にアメリカの大学ではこうしたシステムが導入されています。

これは「結果の平等」です。

一方で機会の平等という考え方に基づけば、

「白人も黒人もアジア人も、みんな同じ入試問題を受けてもらい、平等に採点する。そうすれば反映されるのは本人の実力のみであり、平等だろう」という考え方になります。日本の入試とかは完全にこの後者の考え方ですね。

(そういえば去年だか、医学部において女子受験者の点数を下げるみたいなことをしていた大学が多発しましたが、あれは論外ですのでここでは取り上げません。)

さて、皆さんはどちらが正しいと思うでしょうか??

ここで大事なのは、民主主義の国アメリカでもこの部分について答えは出ていないということなのです。

アメリカでは、人種別の定員が設けられていることに対して、「白人に対する逆差別だ!」という訴訟や、「アジア系の定員が100人しかないのは圧倒的に少なく、黒人が優遇されていてアジア系への差別になっている!」として訴訟が起きており、

実はあのハーバード大学でさえこの問題で訴訟を受けており、訴訟は決着しておりません。

すなわち、アメリカでも「平等とは機会の平等が正しいのか、結果の平等が正しいのか」の答えは出ていないのです。


3.OnlyFiveに当てはめてみる

さて、ここまで読んでくればOnlyFiveとアメリカの大学がどのように繋がるかわかるはずです。

すなわち、「機会の平等」を考える人は、「OnlyFiveは全員同じ条件で勝負をしている、画面を頻繁に更新したりする努力をしていないほうが悪い」という主張になり、

「結果の平等」を考える人は、「画面に張り付く時間がある人や古参が有利であり、新規や未購入者にも行き渡るように既に購入した人は購入を自粛するべきだ。」「未購入者しか買えない日を作る等するべきだ」という主張になるのです。

もしここがアメリカなら、「OnlyFiveを買えていないオタクによる訴訟」や、「未購入者しか買えない日が設けられて買えなかったオタクによる訴訟」という地獄絵図が見られたかもしれないですね。

そして、結論としてはさっきも申し上げた通り、これは社会的に考えて答えの出ていない問題で、どちらが正しいとも間違っているとも言えません。ですから、自分自身で考え、自分自身の信念通りに行動するというのが最適解ではないかと思っています。

ちなみにこの問題がアイドルが「いいねを押すべきかどうか」とか「リプ返をするべきかどうか」論争にも通じてきます。


4.最後に

どちらの主張も間違っていないというパッとしない文章を書いてきましたが、ひとつだけ確実なことがあります。

「OnlyFiveの論争について、アイドル本人に文句をつけるオタクはクソ。」

以上です。


OnlyFiveについてゴタゴタオタク同士で叩き合っていたり、アイドルに文句をつけている人たちは、

こういう論争から現代社会の問題に発想を飛ばし、

政治や経済についてもう少しお勉強なさったほうがいいのではないでしょうか。

現場がないということはある意味時間はあるわけで、人を叩くよりもこうして社会問題について勉強した方が、少なくともOnlyFiveの画面に向き合ったりアイドルに文句をつけたりするより、よほど有意義だし自分のためになると思います。(OnlyFiveの画面に向き合っている自分への自戒を込めて)


終わり。

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